十 戦争について

質問
 どのようにして私たちは、世界の現在の政治的混沌と危機を、解決できるのでしょうか。差し迫った・切迫した戦争を阻止するために、何か個人ができることがあるでしょうか。

 戦争は、私たちの日常の生の壮大で血なまぐさい投影なのではないでしょうか。戦争は、たんに私たちの内面の状態の外面的表現、私たちの日常の行動の拡大・引き伸ばしです。それはもっと壮大で、もっと血なまぐさく、もっと破壊的です。しかしそれは、私たち個人の活動の集団的・集合的結果です。ゆえに、あなたと私は戦争に [応じる能力・]責任があるのです。私たちはそれを阻止するために、何ができるでしょうか。明白に、常に差し迫っている戦争は、あなたと私により阻止できません。なぜなら、それはすでに動き [の状態]にあるからです。現在は主に心理的な水準であるけれども、それはすでに起きているのです。それはすでに動き [の状態]にあるので、阻止できないのです−論点が多すぎ、大きすぎるし、すでに遂行され・犯されているのです。しかしあなたと私は、家が燃えて・火事になっていることがわかると、その火事の原因を理解できるし、それから離れて・そこから立ち去って、燃えやすくない・非可燃性である [材料・素材] 、他の戦争を産み出さないであろう違った材料で、新しい場所に建てられるのです。それが、私たちにできるすべてです。あなたと私は、何が戦争を造り出すのかがわかることができます。そして私たちは、戦争を阻止することに興味があるなら、そのとき私たち自身−戦争の原因であるもの−を、変容させ始めることができるのです。
 一人のアメリカの婦人が、戦争中の二年前に、私に会いに来ました。彼女はイタリアで自分の息子を亡くしたこと、救いたいと思うもう一人の十六歳の息子がいると、言いました。それで私たちは、その事をよく話し合いました。彼女の息子を救うには、彼女がアメリカ人であることを止めなければならないと、私は彼女に提案しました。彼女が貪欲であるのを止め、富を積み上げるのを、力、支配を求めるのを止めて、道徳的に単純で [なければならない] −たんに服や外面的なものごとにおいて単純なのではなく、彼女の思考と感情において、彼女の関係において単純でなければならない、と。彼女は言いました。「それは無理です・ひどすぎます。あなたはあまりに無理を求めて・要求しています。私にはそれはできません。なぜなら、私が改めるには、境遇が強力すぎるからです」と。ゆえに彼女は、自分の息子の破滅に対して [応ずる能力・]責任があるのです。
 境遇は私たちにより制御できるのです。なぜなら、私たちが境遇を造り出したからです。社会は、あなたの [関係] と私の [関係]をひっくるめた・合わせた、関係の産物です。私たちが自分たちの関係において変化するなら、社会は変化するのです。外面的社会の変容のために、たんに法制度に、強制に頼ることは、内面的に腐敗・堕落したままでいるかぎり、内面的に力、地位、支配を求め続けるかぎり、たとえどんなに気をつけて科学的に築かれても、外面的なものを破壊することになります。内面にあるものが、いつも外面的なものに打ち勝っているのです。
 宗教的、政治的、経済的な戦争を引き起こす原因は何でしょうか。明白に、国家 [・民族]主義であれイデオロギ−であれ特定の教義であれ 、[それらへの]信念です。もしも私たちが自分たちの間に、信念ではなく、善意、愛、考慮・配慮を持っていたなら、そのとき戦争はないでしょう。しかし私たちは信念、観念、教義で養われています。ゆえに不満を生み育てるのです。現在の危機は例外的性質のものです。人間としての私たちは、常なる葛藤と連続的な戦争の道−それらは、私たちの日常の行動の結果です−を追求するか、それとも戦争の原因がわかって、それらに背を向けるか、どちらかにちがいありません・しなければなりません。
 明白に、戦争を引き起こす原因になるものは、力、地位、威信、金への欲望です−また国家 [・民族]主義と呼ばれる病気、国旗の崇拝。そして組織化された宗教という病気、教義の崇拝−これらすべてが戦争の原因です。個人としてのあなたが、組織化された宗教のどれかに属しているなら、力に対して貪欲であるなら、妬んでいるなら、あなたは必ず、破壊という結果になるであろう社会を産み出します。それでそれもまた、指導者にではなく、あなたにかかっているのです−いわゆる政治家たちとその他すべて [にかかっているの] ではありません。それはあなたと私にかかっているのですが、私たちはそれを悟っているように見えません。もしも私たちが、ひとたび自分たち自身の行動の [応じる能力・]責任を、ほんとうに感じたなら、どんなにすばやくこれらすべての戦争、このおぞましい悲惨を終わらせることができるでしょう!しかしおわかりでしょう、私たちは無関心です。私たちは日に三食摂ります。仕事を持っています。多かれ少なかれ銀行預金を持っています。そして「お願いですから、私たちを動揺させないでください。一人にしておいて・そっとしておいてください」と言うのです。地位 [身分]が高ければ高いほど、私たちは安全、永久性、平静が欲しい、そっとしておいて欲しい、あるがままに固定したものごとを維持したいのです。しかしそれらはあるがままに維持できないのです。なぜなら、何も維持すべきものはないからです。あらゆるものごとが崩壊しつつあります。私たちはこれらのものごとに向き合いたくないのです。あなたと私が戦争に対して [応じる能力・]責任があるという事実に、向き合いたくないのです。あなたと私は平和について話しをし、会議をし、テ−ブルを囲んで座り、議論をするかもしれません。しかし内面的に、心理的に、私たちは力、地位が欲しいのです。貪欲により動機づけられているのです。私たちは計略を巡らします・陰謀をたくらみます。私たちは国家[・民族]主義的です。私たちは、信念により、教義により縛られています−それらのために進んで死のう、互いに破壊し合おうとしています。そういう人たち、あなたと私が、世界に平和を持てると、あなたは思うでしょうか。平和を持つには、私たちが平和でなければなりません。平和に生きることは、敵対を造り出さない、という意味です。平和は理想ではありません。私にとって理想は、たんに逃避、あるがままの回避、あるがままの否定・否認です。理想は、あるがままへの直接的作用 [・行動] を妨げます。平和を持つには、私たちは愛さなければならないでしょう。理想的な生を生きるのではなく、あるがままのものごとを見てそれらに作用し、それらを変容させ始めなければならないでしょう。私たち各自が心理的な安全を求めているかぎり、私たちが必要とする生理的な安全−衣・食・住−は破壊されるのです。私たちは心理的な安全を求めています−それは存在していません。そして私たちはできるなら、力をとおし、地位をとおし、肩書き、名前をとおして、それを求めます−そのすべてが、身体的・物理的な安全を破壊しているのです。あなたがそれを見るなら、それは明白な事実です。
 世界に平和をもたらすには、すべての戦争を阻止するには、個人に、あなたと私に、革命がなければなりません。この内面の革命のない経済的革命は無意味です。というのは、飢え・飢餓は、私たちの心理状態−貪欲、妬み、悪意、所有欲−により産み出された経済情勢・状況の不適応・不調整の結果であるからです。悲しみ、飢餓、戦争を終わらせるには、心理的な革命がなければなりません。私たちのほとんどは進んでそれに向き合おうとしていません。私たちは平和について議論し、法制度を立案し、新しい同盟・連盟、国際連合などなどを造り出すでしょう。しかし私たちは平和を勝ち取らないでしょう。なぜなら、私たちは自分たちの地位、権威、金、財産、愚かな生をあきらめないであろうからです。他の人たちに頼ることは、全く無効です。他の人たちは私たちに平和をもたらせません。どんな指導者も、政府も、軍隊も、国も、私たちに平和を与えようとしていません。平和をもたらすであろうものは、内面の変容です−それが外面の行動につながるでしょう。内面の変容は、孤立化ではありません。外面の行動からの撤退ではありません。反対に正しい考えがあるときだけ、正しい行動がありうるのです。自己認識がないとき、正しい考えはないのです。あなた自身を知ることなしに、平和はありません。
 外面の戦争を終わらせるには、あなたは自分自身の中の戦争を、終わらせ始めなければなりません。あなたがたの幾人かは、頷いて「私は同意します」と言って、外へ出て、この十年か二十年の間ずっとしてきたこととまさしく同じことをするでしょう。あなたの同意は、たんに言葉の上だけですし、意義がありません。というのは、世界の悲惨と戦争は、あなたの思いつきの・何気ない同意・賛成によって阻止されないであろうからです。あなたが危険を悟るとき、自分の [応ずる能力・]責任を悟るとき、それを他の誰かに任せないときだけ、それらは阻止されるでしょう。あなたは苦しみを悟るなら、即時の行動の緊急性・切迫性がわかって延期しないなら、そのとき自分自身を変容させるでしょう。あなた自身が平和であるとき、あなた自身が自分の隣人と平和である・仲良くするときだけ、平和が来るでしょう。


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