三 なぜ霊的教師なのか


質問
 たちは不必要であると、あなたは言われます。しかし、 だけが与えられる賢明な助けと導きなしに、どうして私は真理を見つけられるのでしょうか。

 質問は、 は必要であるのか、ないのか、です。真理は、他の一人をとおして見つけられるでしょうか。或る者は、それはできると言い、或る者は、できないと言います。他の一人の意見に対比しての私の意見ではなく、私たちはこれの真理が知りたいのです。私はこの件において意見を持っていません。それはそうであるか、そうでないか、どちらかです。あなたがを持つべきか、持つべきでないかということが、本質的 [・不可欠]であるかどうかは、意見の問題ではありません。事柄の真理は、意見に依存しません−たとえどんなに奥深くて、学識があり、一般的で・評判がよくて、普遍的でも、です。事柄の真理は、事実において見出されるべきです。
 まず最初に、なぜ私たちは が欲しいのでしょうか。私たちは導師が必要です。なぜなら私たちは混乱しているし、導師 は助けになるからです、と私たちは言います。彼は真理が何であるかを指摘してくれるだろう。彼は、私たちが理解するのを助けてくれるだろう。彼は私たちよりも生についてはるかに多く知っている。彼は私たちに生を教える父として、教師としての役割を果たすだろう。彼は膨大な経験を持ち、私たちはわずかしか持っていない。彼は、より大きな・偉大な彼の経験をとおして、私たちを助けてくれるだろう、などなどです。すなわち、基本的にあなたは混乱しているから、教師のところへ行くのです。もしも明晰であったなら、あなたは導師 に近づかないでしょう。明白に、もしもあなたがとても深く幸せであったなら、もしも問題がなかったなら、もしもあなたが生を完全に理解したなら、あなたはどんな導師 のところへも行かないでしょう。あなたにこれの意義をわかって欲しいと、私は思います。あなたは混乱しているから、教師を捜し出すのです。あなたは生き方を与えてもらうため、自分自身の混乱を明らかにする・晴らすため、真理を見つけるために、彼のところへ行くのです。あなたは混乱しているし、自分が求めるものを彼が与えてくれるだろうと願うから、自分の導師 を選択するのです。すなわち、あなたは自分の要求を満足させてくれるであろう導師 を、選択するのです。彼があなたに与えてくれるであろう満足・喜びに応じて、あなたは選択するのです。それであなたの選択は、あなたの満足・喜びに依存しているのです。あなたは、「あなた自身に依存しなさい」と言う導師 を選択しません。あなたは自分の先入観に応じて彼を選択するのです。それであなたは、彼が自分に与えてくれる満足・喜びに応じて導師 を選択するから、あなたは真理を [求めているの]ではなくて、混乱からの抜け出し方を求めているのです。そして混乱からの抜け出し方が、誤って真理と呼ばれるのです。
 導師 が私たちの混乱をきれいに片づけられるというこの観念を、初めに検討しましょう。誰かが私たちの混乱をきれいに片づけられるでしょうか−混乱は私たちの応答の産物です。私たちがそれを造り出したのです。他の誰かがそれを−中と外の、存在のすべての水準におけるこの悲惨、この戦いを−造り出したと、あなたは思うのでしょうか。それは、自分たち自身についての知識の欠如の結果です。私たちが導師 のところへ行くのは−私たちがその混乱から自由であるのを、彼が助けてくれるであろうと考えるのです−私たちが自分たち自身を、自分たちの葛藤、応答、悲惨を、理解しないからです。私たちは現在との関係においてだけ、自分たち自身を理解できるのです。そして外側の誰かがではなく、その関係自体が導師 です。私がその関係を理解しないなら、たとえ導師 が何を言うとしても役立ちません。なぜなら、私が関係を−財産との、人々との、観念との私の関係を−理解しないなら、誰が私の中の葛藤を解決できるでしょうか。その葛藤を解決するには、私はそれを自分自身で理解しなければなりません−それは、私が関係において自分自身に気づかなければならない、という意味です。気づくには、どんな導師 も必要ではありません。私が自分自身を知らないなら、導師 が何の役に立つでしょうか。混乱 [状態]にあって、ゆえに彼らの選択もまた混乱している人たちにより、政治的指導者が選択されるのと同じように、私は導師 を選択するのです。私は自分の混乱に応じてだけ、彼を選択できるのです。ゆえに彼も、政治的指導者と同じように、混乱しているのです。
 重要であることは、誰が正しいのか−私が正しいのか、導師 は必要であると言う人た
ちが正しいのかどうか−ではありません。なぜあなたが導師 を必要とするのかを見出すことが、重要です。導師 は、様々な種類の搾取 [・利用]のために存在しています。しかしそれは関係ありません。あなたがどのように進歩しつつあるかを、誰かがあなたに言ってくれるなら、それはあなたに満足を与えてくれるのです。しかし、なぜあなたが導師 を必要とするのかを見出すこと−そこに鍵があるのです。他の人は道・やり方を指摘できます。しかしたとえあなたが導師 を持つとしても、あなたが作業すべてをやらなければなりません。 あなたはそれと向き合いたくないから、導師 に責任をなすりつけるのです。ごくわずかの自己認識があるとき、導師 は役に立たなくなるのです。どんな導師 も、どんな書物や聖典も、あなたに自己認識を与えられません。あなたが関係において自分自身に気づくとき、それは来るのです。ある [・生きる]ことは関係することです。関係を理解しないことは、悲惨、闘争です。財産とのあなたの関係に気づかないことが、混乱の原因の一つです。あなたが、財産との自分の正しい関係を知らないなら、必ず葛藤があります−それが社会に抗争を増大させるのです。あなたが自分自身と自分の妻との間の、自分自身と自分の子供との間の関係を理解しないなら、その関係から生じている葛藤を、どうして他の一人が解決できるでしょうか。観念、信念などについても同様です。人々との、財産との、観念とのあなたの関係において混乱しているので、あなたは導師 を求めるのです。彼はほんとうの導師であるなら、あなたに自分自身を理解するようにと言うでしょう。あなたがすべての誤解と混乱の源です。そして関係において自分自身を理解するときだけ、あなたはその葛藤を解決できるのです。
 あなたは他の誰をとおしても真理を見つけられません。どうしてできるでしょうか。真
理は何か静止したものではありません。それは固定した住所を持ちません。それは目的、目標ではありません。反対に、それは生きて、動的で、鋭敏で、生き生きしているのです。どうしてそれが目的でありうるでしょうか。真理が固定点であるなら、それはもはや真理ではありません。そのとき、それはたんなる意見です。真理は知られないものです。真理を求めている精神は、決してそれを見つけないでしょう。というのは、精神は知られたものから作り上げられているからです。それは過去の結果、時間から出てきたものです−あなたはそれを自分自身で観察できます。精神は知られたものの道具です。ゆえに、それは知られないものを見つけられません。それは知られたものから知られたものへ動けるだけです。精神が真理を−書物で読んだことがある真理を−求めるとき、その「真理」は自己投影されています。というのは、そのとき精神は、たんに知られたもの−以前のものよりもっと満足できる知られたもの−を、追求しているからです。精神が真理を求めるとき、それは真理 [を求めるの] ではなく、それ自身の自己投影を求めているのです。結局、観念は自己投影されています。それは虚構で非真実です。真実であるものは、対極のものではなく、あるがままです。しかし真実を求め、神を求めている精神は、知られたものを求めているのです。あなたが神について考えるとき、あなたの神は、あなた自身の思考の投影、社会的影響の結果です。あなたは知られたものについてだけ、考えられるのです。あなたは知られないものについて考えられません。あなたは真理に集中できません。あなたが知られないものについて考えた瞬間、それはたんに自己投影された知られたものです。神や真理については考えられません。あなたがそれについて考えるなら、それは真理ではありません。真理は求められません。それはあなたに来るのです。あなたは知られているものを追いかけられるだけです。精神が知られたものにより、知られたものの影響により、拷問にかけられないとき、そのときだけ、真理が正体を現せるのです。真理はあらゆる木の葉に、あらゆる涙にあるのです。それは瞬間瞬間知られるべきものです。誰一人あなたを真理へ導けません。誰かがあなたを導くなら、それは知られたものへ [導かれる] だけです。
 真理は、知られたものが空っぽである精神に、到来しうるだけです。それは、知られたものが不在であり、機能していない状態に来るのです。精神は知られたものの倉庫、知られたものの残り滓です。精神が、[そこに] 知られないものが生じる状態にあるには、それはそれ自体に [気づく] 、意識的と共に無意識的なそれの以前の経験に、それの応答、反応、構造に、気づかなければなりません。完全な自己認識があるとき、そのとき知られたものの終わりがあります。そのとき精神は完全に、知られたものが空っぽです。真理が招かれずにあなたのところへ来るのは、そのときだけです。真理は、あなたにも私にも属していません。あなたはそれを崇拝できません。それは知られた瞬間、真実ではないのです。象徴は真実ではありません。イメ−ジは真実ではありません。しかし自己の理解が、自己の停止があるとき、そのとき永遠性が生じるのです。


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