二 国家[・民族]主義について


質問
 国家 [・民族]主義が去るとき、 [次に]来るのは何でしょうか。

  明白に智恵です。しかし、残念ながら、それが質問に含まれている意味ではないように、私は思います。含まれている意味は、何が国家 [・民族]主義の代用でありうるのか、です。どんな代用も、智恵をもたらさない行為です。私が一つの宗教を去って、もう一つに加わるなら、または一つの政党を去って、後に何か他のものに加わるなら、この常なる代用は、 [そこに]智恵のない状態を表示しています。
 国家 [・民族]主義はどのようにして去るのでしょうか。その充分な含意を、私たちが理解することにより、それを検討することにより、外側と内側の行動 [・作用]におけるその意義に気づくことによってだけ [去るの]です 。外側で、それは人々の間の分割、分類、戦争、破壊をもたらします−それは、誰でもよく観察している人にとって明白です。内側で、心理的に、もっと偉大なものとの、国との、観念とのこの同一化は、明白に一つの形の自己拡大です。小さな村や大きな町や何であろうと [そこに] 住んでいると、私は誰でもないのです。しかし私が自分自身をもっと大きなものと、国と、同一化するなら、自分自身をヒンドウ−教徒と呼ぶなら、それは私の虚栄心をくすぐるのです。それは私に満足・喜び、威信、幸福感を与えてくれるのです。そしてもっと大きなものとのその同一化−それは、自己拡大が本質的 [・不可欠]であると感じる人たちにとって心理的な必要物・必需品です−はまた、人々の間に抗争、闘争をも造り出すのです。こうして国家 [・民族]主義は、外側の抗争 [を造り出す]だけではなくて、内側の挫折をも造り出すのです。国家 [・民族]主義を、国家 [・民族]主義の過程全体を理解するとき、それは消えてしまうのです。国家 [・民族]主義の理解は、国家 [・民族]主義、愛国心の過程全体を気をつけて観察することにより、中を探ることにより、智恵をとおして来るのです。その検討から智恵が訪れます。そのとき国家 [・民族]主義のかわりの何か他のものの代用はないのです。あなたが国家 [・民族]主義のかわりに宗教を代用するなら、宗教は自己拡大のもう一つの手段、心理的心配・懸念のもう一つの源、信念をとおして自分自身を養う手段になるのです。ゆえに、どんな形の代用も−どんなに高尚でも−一つの形の無知です。それは、人が喫煙のかわりにチュ−イングガムやビンロウジや何であれ、代用するのと似ています。ところが、喫煙、習慣、感動、心理的要求、その他すべての問題全体を、ほんとうに理解するなら、そのとき喫煙は、いつのまにかなくなるのです。智恵の発達があるとき、智恵が機能しているときだけ、あなたは理解できるのです。そして智恵は、代用があるとき、機能していません。代用は、あなたにこれをしないよう、あれをするように誘惑する、たんに一つの形の自己賄賂です。国家 [・民族]主義とともにその毒、その悲惨と世界の闘争は、智恵があるときだけ、消え去ることができるのです。そして智恵は、たんに試験に通ることと書物を研究することによっては、来ないのです。智恵は、私たちが問題を生じるままに理解するとき、生じるのです。異なった水準で問題の [理解があるとき] −外側の部分だけではなく、その内側の心理的な含意の理解があるとき、そのとき、その過程において、智恵が生じるのです。ですから、智恵があるとき、代用はありません。そして智恵があるとき、そのとき国家 [・民族]主義、愛国心は−それは一つの形の愚かさです−消え去るのです。


このページのトップへ戻る   トップページヘ戻る