第8号 1967年9月から1968年4月まで


序論
この号には、真実についてのクリシュナジの理解の一部分が、議論されている − それは、彼にとって重要であったが、彼が自ら仕事自体においてけっして表さなかったこと、すなわち、善と悪* について彼の見解である。これの部分は、正しいことをする中での、彼の「保護」の感覚である。
 また、〔彼と信奉者との間の〕特有な関係についての議論もある − それは、少年時代から彼の生の一部分であった。
 さらに加えて、クリシュナジとメアリー〔・ジンバリスト〕とアラン〔・ノーデ〕の三人組が、世界を順調に広汎に移動してまわるのが、見られる − イングランドが、新しいクリシュナムルティ学校の現場に、決定される。初めて編集と出版の委員会が、〔ラージャゴパル支配下の〕KWINC〔クリシュナムルティ著作協会〕に何の関係なく、始まる。そして、クリシュナジの著作権を〔KWINCから〕取り戻すために、最初の動きがなされる。

メアリー・ジンバリストの回顧録 第8号
メアリー−私たちは、クリシュナジが〔ロンドン南西部、〕ウインブルドンで講話を行っていて、〔その近くの住宅地〕キングストン・ヴェイルで生活していたということで、止めたと思います。それで理解できますか。
スコット−ええ、それは正しいように聞こえます。
メアリー−私はまた、早朝に私たち三人が彼の部屋で、まったくの静寂のなか結跏趺坐で床に座った実験について、語りました。それが私たち二人にとって何だったのか、私は知りません!
スコット−クリシュナジは、あなたの背中を何かにもたせて座らせましたか。
メアリー−いいえ。私の心の眼で見るところ、私たちは床の真ん中で絨毯の上に座っていました。彼は大きな寝室を持っていました。
スコット−なぜなら、何年も後、クリシュナジは、私に〔ヨーガの〕調息とかそのようなことを教えていたとき、(メアリー、クスクス笑う)* 私の背中を、彼のステレオが載っているあの白いテーブルの脚に着けて、座らせたからです・・・
メアリー−ええ、ええ。
スコット−・・・それで、私の背骨全体がまっすぐだったんです。
メアリー−まあ、彼はあの時点で、私たちの背骨についてあまり考えていなかったと思いますよ。(二人とも笑う)少なくとも、私の記憶ではそれが見えるようです。
スコット−私はただそれを描き出そうとしています。それだけです。何回、それをしましたか。
メアリー−よく分かりません。でも、何回もやりました。でも、けっして習慣にはならなかった!(クスクス笑う)
スコット−(笑う)では、大成功ではなかった?
メアリー−他の二人に訊くべきでしょうね!(二人とも笑う)でも、それは私にとってとても感動的だったと、言わざるを得ません。なぜかは言葉にできなかった − クリシュナジは、あなたも知っているように、ものすごい静けさを導入できたということ以外は、ね。
スコット−ええ。
メアリー−それは、少なくとも私にとって、静けさしか起こっていない、一種のすばらしい空間でした。
スコット−後で何をしましたか。
メアリー−ああ、分かりません。私たちは行って、朝食をとるとか何かしたと思います。今は忘れてしまいました。早かったです。
スコット−朝食前でした。
メアリー−朝食前でした。私は〔階下に〕降りて行って、朝食を調えたり、何かそのようなことをしたと、思われます。いや、私はそこは空白です。
スコット−あなたは服装を整えていましたか。または、体操着を着ていたのか。または、バスローブか何かを着ていたのか・・・
メアリー−私はたぶんズボンとセーターか何かを着ていました − 床に座るためにです。クリシュナジは部屋着を着ていました。
スコット−はい。
メアリー−アランが何を着ていたのかは、忘れてしまいまいした。彼は服装を整えていたと思います。
 でも、これは、彼が「あなたはもはや自分自身に責任があるわけではない。あなたは他の何かに責任がある。」と言いはじめた時でした。(たぶんこれは、先日〔1967年9月に関して〕あなたに言いました。)
スコット−ええ、ええ。
メアリー−彼は、来たるべき歳月を通して、それを私に何度も何度も言うことになりました。
スコット−ふむ、ふむ、ふむ。メアリー、ここで中断してもよければ − おそらくこれは私の心に明確化するためだけですが − クリシュナジが何年も後に、その種のことを私に対して言ったとき・・・
メアリー−ええ。
スコット−それは大いにこの調子でした − あなたは今、自分の人生で何でも好きなことをやるわけにはいかないよ、と。
メアリー−ええ、そのとおりです。
スコット−あなたは危なかしいことをやってはいけない。ただ・・・
メアリー−危なかしいことをやる〔のを避ける〕というのが、大いにそれの特徴でした。
メアリー−おそらく私たちは、それについて話をすべきでしょう。なぜなら、どうしてかあなたの人生は、もはやあなたのものではなく・・・
メアリー−そのとおりです。
スコット−・・・それでもって何でもやりたいことをやるだけではない。
メアリー−そのとおりです。
スコット−いま、それは何か他のことの一部分です。または、それは、うーん・・・
メアリー−ええ。あなたは他の何かに責任がある − それは、彼はそう言わなかったけれど、「他のもの(the Other)」だったと思います。でも、今、もはやあなたの人生ではない。あなたは・・・
スコット−ええ、ええ。
メアリー−そして、危なかしい部分を、彼はとても強調しました。私が〔彼とともに〕インドに行かないで、カリフォルニア〔、マリブの自宅〕に戻るときはいつも、彼は私に対して教え諭したものです − 「不必要な危なかしいことは何もしてはいけない。」と。それはふつう、不必要な空の旅と判明しました。私がどこでもいるところから〔空の便で、弟のいる東部の〕ニューヨークへ飛び、それから母に会いに〔東部マサチューセッツ州の〕マーサズ・ヴィニヤード〔島〕に行くことは、だいじょうぶでした。それは必要だったからです。それから、〔空の便で〕カリフォルニアに飛んで戻ることも、です。でも、だいじょうぶではなかったのは、まあ、例えば私が明日、誰かとの昼食のためにサンフランシスコへ運転して行きたいと思った、とします。それはしてはいけない。それは不必要だったんですよね。彼はまた言ったものです − この時点で彼がそう言ったのかは、分かりません。たぶん言ったかな − 「あなたは私とともにいるとき、保護される。でも、あなた自身でいるとき、私はあなたを保護できない。」と。時々、彼は言いました − 彼が冗談を言っているのか、真剣なのかを訊いてもよかったと思いますが、彼はしばしば、「私はあなたとともに二人の天使を送りましょう。」と言ったものです。私はそれを〔自分に分かる言語に〕翻訳しようとしませんでした。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−彼はただ何かを隠喩として言っていただけなのかどうなのか、私は知りません。でも、それから彼は、「でも、彼らを緊張させてはいけない!」と付け加えました。(笑う)「彼らを働かせすぎてはいけない。」と。言い換えるなら、回避できた愚行はするな、と。言い換えるなら、「車をあまりに速く運転するな。気をつけて運転しなさい。」と。不必要なことの一例は、〔スイスの〕サーネンでありました。そこで私は、そのことでけっして何もしなかったんですが、グライダーに乗りたい誘惑に駆られました。彼もそうだったことが分かります。彼はそれはすばらしいだろうと思ったんです!*
スコット−知っています。知っています。
メアリー−でも、彼は、それは不必要なことであり、自分はそれをすべきでないと思いました。ゆえに、同様に私の人生で何が起きても、私はそれに気をつけなければならない、と。
スコット−これについて私の印象をお伝えして、あなたの反応を頂きましょう。クリシュナジが同様のことを私に対して言ったとき、それはほとんどまるで、何か必要なことをしているなら、保護の要素が伴っているかのようでした。なぜなら、あなたはやはりどうにか部分であって・・・
メアリー−何かに対して責任を持ちつつあったんです。
スコット−ええ。あなたはどうにか、何か自らがしているはずの活動の部分でした。それは、自分が正しい場所にいたかのようでした。
メアリー−ええ、そのとおりです。
スコット−でも、何か不必要なことをしはじめると、そのとき正しい場所の外側に出ていました。
メアリー−ふむ、ふむ。
スコット−正しい場所の外側にいると、もはやその保護を受けなかった。
メアリー−そんなに断定的でもなかったわ。
スコット−ええ。そうではなかった。私は、これが私の受けた感覚だと言っているだけです。
メアリー−ええ、そのとおりです。
スコット−実は、また有ったんですが・・・クリシュナジが話をしたとき、あなたはそこにいました・・・私たちは自分たちが関与していることに関与しているから、さらに、何か怖いことが・・・出てくる傾向のことが、ありました。あなたがこれについて話をしたいのかどうか、分かりませんが。
メアリー−ええ、話したいです。
スコット−それはほとんど、何か悪のようなものが、私たちが保護の地域から外側に出てくるのを待っているかのようでした。
メアリー−そのとおりです。ええ。彼は何かの時点で言いました − いつかは憶えていません。それについて私がメモ書きをしていれば、後でそこに来るかもしれませんが・・・彼は多かれ少なかれ、そう言いました・・・私は、彼の言葉を引用しようとするのは望みません。私はそれについて、自分の理解を伝えるだけにしましょう。まるで悪が彼を狙いたいと思っているが・・・
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−・・・でも、できない。なぜなら、彼は何か保護されていて・・・
スコット−何によって、でもです。
メアリー−彼は保護されていました。
スコット−ええ。
メアリー−ゆえに、悪は、彼を狙いそこねて、彼のまわりにいる人たちを、打ち倒そうとするかもしれない − 彼にとって何らかの形で役立つ人たち、彼のしていることの一部分である人たちを、です。
スコット−ええ。
メアリー−ゆえに、私たちが標的でした。
スコット−ええ。
メアリー−彼はそれをその通りには言いませんでしたが、それが内容でした。
スコット−まあ、たいがいその意味でした・・・私はこれに言及しているのは、ただ・・・まあ、一回だけではなかったが、初めての時です。確かに、クリシュナジが私に対してそれについて直接的に話をしてくれた初めての時は、私が〔スイスで〕登山をするのを彼が止めさせたときのことでした。
メアリー−ええ。
スコット−憶えていますか。
メアリー−よく憶えています。(二人とも笑う)彼はあなたとその核心に入りました・・・
スコット−ええ。
メアリー−・・・なぜなら、登山はあなたのやっている一番危険なことであったからです!(クスクス笑う)
スコット−ええ、ええ。彼は私が登山をするのを止めさせました。
メアリー−知っています!
スコット−憶えておられるなら、当初、彼は自らが何をしているのかを、私に言ってくれませんでした。彼はただ言って・・・なぜなら、彼はずっと(クスクス笑う)気に掛けていて・・・これは、この〔録音〕テープでの私の回顧録になるべきではないな・・・
メアリー−いえ。さあ、これは協働ですよ。
スコット−分かりました。彼は私の登山について気に掛けていました。彼は私に教え諭していました、等です。
メアリー−ええ。
スコット−特に、私は時々、一人で登山していたからです。それから或る年* 、彼は〔イングランドの〕ブロックウッドで私がスイス〔、サーネン〕へ発つ前に、私に訊きました − 「あなたは講話の前に何をしようとしていますか。」と。私は、「まあ、私は歩いて山々に登ろうとしているだけです。」と言いました。私は登山をしようとしていないとは、言いませんでした。ただそれを軽めに言っただけです。クリシュナジは心配していて・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・その年、クリシュナジは心配していました。私が彼に会いに来たとき − なぜなら、私はいつもサーネンに着くとすぐに、彼に会いに行ったからです。彼は私のことを心配していました。
メアリー−ええ。
スコット−彼は教え諭すように私に訊きました − 「あなたは何をしようとしていましたか?!」と。
メアリー−ええ。
スコット−彼はたいへん叱っていました。「あなたは何をしようとしていましたか・・・何を・・・」
メアリー−ええ。
スコット−私は、サーネンの講話の後、再び山々に登ろうと計画していました。でも、講話が終わろうとしていたので、彼は言いました − 「来て、タンネグ〔山荘〕で私と一緒に泊まりなさい。そうだな、・・・」
メアリー−ええ。
スコット−「・・・二、三日の間。」と。もちろん私はタンネグ〔山荘〕に泊まることにわくわくしました!(二人ともクスクス笑う)〔夏の〕オリンピックが行われていたと思います。
メアリー−ええ。或る夏、私たちがみなテレビを見ているときがありました。
スコット−ええ。私たちはオリンピックを見ていました。ともあれ、それで、時間は少しの間、延長されてですね、私はただ・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・もう少し長く泊まっていました。それはどれだけの間か、知りませんが、長引きました。
メアリー−あなたは山歩きに一度も行かなかった!(二人とも笑う)
スコット−それから天気が悪くなりました。
メアリー−ふむ、ふむ。
スコット−天気が変わりました。天気図では、来週の間、天気が悪くなることが分かりました。だから、登山はなし。それからクリシュナジは、(笑う)「まあ、あなたが行きたいのなら、今、行っていいよ!」と言いました。(もっと笑う)それが、私が訊ねたときです − 私は、「では、クリシュナジ、あなたは意図的に私を登山させないようにしていましたね。」と言いました。
メアリー−ふむ、ふむ。
スコット−「これは何ですか。」と。
メアリー−ええ。
スコット−彼が私とともに全体のことを話したのは、そのときでした。彼はまた、この全体のことの一部分として、言いました − それもまた、興味深いと私は感じるんですが − 彼は、悪の力が他の時より強い時があるのを、感知するようだ、ということです。それで、より危なかしい時とか何かである時が、ありました。
メアリー−ええ、ええ。
スコット−また、彼があなたに〔元家政婦の〕フィロメナに会いに〔ローマに飛行機で〕飛んでほしくない年もあったと、私は思います。
メアリー−あなたが話しているとき、私はそのことを考えていました。
スコット−そうね、なぜかというと、どうにかそれは・・・
メアリー−或る年・・・
スコット−どうにかこれは・・・分かりません。全く率直にいって、これはすべて私の想像上だったかもしれません・・・クリシュナジは私に対して、この関連づけをまったくさせなかった・・・でも、何かがあるように思われて・・・それは、ラージャゴパルがしていたことに、関連していたように、です。どうにかラージャゴパルが・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・もっと強さを持っていて・・・もっと・・・まったく・・・
メアリー−それは・・・
スコット−・・・どうにかこの悪の反映だった・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・これは、特別に危険な時であるようでした。
メアリー−ええ、まあ、私は夏ごとに二日か三晩か何かだけ、〔ローマにいる元家政婦の〕フィロメナに会いに行こうとしていました − 誰でも将来にこれ〔録音〕を聞く人のためですが、彼女はとても大切な人でした。様々な役割で私の家庭にいつづけた、そのときまでには、とても年老いたイタリア人女性でした・・・彼女は私の伯母のメイドでしたが、それから、伯母が亡くなった後、私と私の夫〔サム〕のところに来ました。彼女は本当に私の家族の一員でした − 彼女自身の家族以上に、です。私は彼女について同じように感じました。彼女は、自分は病気だと考えて(本当はそうではなかった)、自分の家族と一緒にいるために、イタリア〔、ローマ〕に戻っていました。言い換えると、彼女は引退していました。それで、私は〔毎年、〕夏に〔スイスから飛行機で〕飛んで、彼女に会おうとしたものです。それはだいじょうぶでした。でも、それから、本当に、うろたえるような或る夏が、ありました。なぜなら、クリシュナジは、私がローマに着いたとき、電話をするよう私に頼んだからです。私は〔レマン湖の南西の端、〕ジュネーヴの空港へ運転していき、電話して、「私はここにいます。いつでも搭乗できます。」と言いました。でも、私はローマに着いたとき、ずっと後まで電話にたどり着けませんでした。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−彼は、私に何かが起きたことを気に掛けていました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−私はそのことでひどい気持ちでした。なぜなら、私はこれがうすうす分かっていたからです。それから再び、順序は定かでないですが、翌年だったと思います − それは、あなたが言及しているときです。クリシュナジは私に行かないよう頼みました。それは私にとって難しかった。なぜなら、〔老齢の〕フィロメナはそれらの訪問を待って生活していたからです。私はどのようにも彼女を傷つけるのに、耐えられなかった。*
スコット−私も憶えています。憶えています。
メアリー−でも、当然ながら、クリシュナジが行かないよう頼んだとき、私は行きませんでした。
スコット−ええ、もちろん。
メアリー−私は彼女に、できるだけ説明しようとしました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−あの要因があって、何かが私を、何らかの形で襲ったかもしれなかったんです。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−私たちが〔カリフォルニアの〕マリブ〔の自宅〕にいたとき、私はお使いで〔近くの〕ロサンジェルスに行ったものですが、私が戻ってくるのが遅いと、彼はしばしば門の近くに立っていて、私を待っていました。彼は、「あなたが来こうとしているのが感じられたよ。」と言ったものです。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−彼はしばしば、何かが起きようとしているとき、感知しました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−私の父が〔1972年8月にパリで〕亡くなったとき、私たちはタンネグ〔山荘に〕にいたのを憶えています。父はまったく良くなくて、クリシュナジはそれを知っていました。彼は長い間、良くなかったんです。でも、父の世話をしている女性が、私に電話してかけてくれて、そういうことで、私は父が亡くなったのを知らされました。私は自室にいましたが、クリシュナジは数秒後に来ました。彼は知らないうちに、何が起きたのかを感知していたんです。
スコット−ふむ、ふむ。
 これは或る面で類似して見えます。この主題を少し継続すると、他の瞬間より大きな危険の瞬間があることへのこの種の感知ですが。
メアリー−ええ。
スコット−最後に〔1986年の〕オーハイで、クリシュナジは私たちに・・・私たちがけっして彼を一人にしておくべきでない期間があったのを、思い出してください。それは特に危険な瞬間でした。私たちは二人とも彼の寝室の床に寝た、と思います。
メアリー−ええ、そのとおりです。二人とも床に寝ました。
スコット−私たちは交代してしていましたが、或る夜、それはどうにか・・・それから翌日、彼は「もう過ぎ去ったよ。」と言いました。
メアリー−ええ、「もう過ぎ去ったよ。」と。そのとおりです。彼が最後に(インドから)〔カリフォルニアに〕戻ってきたとき、彼が私に言った最初のことは。あなたが憶えているなら、私が彼の車を運転していき、彼を〔空港から〕乗せて帰りました。あなたと〔掛かりつけ医師の〕パーチュリ〔博士〕(Parchure)は、〔オーハイでの校長〕マーク・リー(Mark Lee)とともに、荷物すべてを積んで、付いてきました。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−彼は車に乗るととたんに、「あなたにはとても深刻なことを言わなくてはいけない。次の二十四時間、あなたは一瞬も私を一人にしておいてはいけない。」と言いました* 。彼はなぜかを説明しませんでしたが、それは・・・危険でした。
スコット−ふむ。
メアリー−或る意味で、それは、〔1977年に〕彼が私に病院でするように言ったことに似ていました* 。でも、私たちはそれらに後で行くでしょう。そして、生きることと死ぬこととの間の細い線、です − 彼は、それが自分の生き方だと言いました。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−危険は、彼が手術の間と後に、彼が言うように、「あっさり逝ってしまう」だろうということでした。私はどうにかそれを防がなければならなかった。それには後で行くでしょう。
スコット−ええ。でも、それはわずかに違っていますよね。なぜなら、それは、何か威嚇の感覚ではなかったからです。それは、彼がおそらくあっさり逝ってしまうという感覚でした。あなたはそれを防ぐべきことになっていました。でも、私たちが今話しているこの別のことは、どうにか満ち欠けしている能動的な威嚇に似ています。
メアリー−ええ。何か外部のものが何かの形で、脅かしていました。または、脅かそうとしていました。(長い休止)
 おもしろいです。もちろん、これはすべて、私たちの物語との同調を外れていますが、それが出てきたからには・・・私たちは何でも思いつくことをただ話すべきだと、思うんです。
スコット−ええ。
メアリー−まあ、特に彼の最後の二、三年は、彼は闇についてこの感情を持っていました − 或る種、有ったのは・・・日が沈んだとき、森 − それを彼は愛していて、すばらしい場所だと感じましたが・・・夜には悪が森に入った、と。彼は夜に、自分はけっして一人で森に入らないと言いました。
スコット−私はそれに似たようなことを憶えています − 彼は、夜の森にとても強い威嚇の感覚があるのを感じた、と。
メアリー−ええ。でも、また保護もありました。私は、「私と一緒なら、入るんでしょうか。」と言いました。彼は、「ええ。でも、もしもあなたがそこにいたならにかぎります。」と言いました。例えばオーハイでは、明らかに、彼は夜に一人で家から出て行こうとしませんでした。例えば、ひとたび暗くなると、〔すぐ近くの〕アーリヤ・ヴィハーラ(原註1)に歩いて行くためでも、です。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−私がいうのは、彼が行く場合はなかったという意味ですが、私は「もしこうなら、どうですか。」と訊きました。彼は、いや、行かないと言いました。それはまるで、何か威嚇するもの、何か邪悪なものが、闇とともに来て、その他では幸いであり大いに愛された場所へ忍び込むかもしれないかのようでした。
スコット−ええ。
メアリー−おもしろいですね。
スコット−とてもおもしろい。とてもおもしろい。なぜなら・・・まあ、たくさんの理由のためにですが、ここには、何かクリシュナジにとってたいへんな実在性を持っているものが、ありました。でも、彼はけっしてそれを、自らの教えに持ち込みませんでした。
メアリー−ええ。
スコット−今、私は、なぜかを容易に理解できます − 迷信とヒステリー状態とすべての想像のためです。
メアリー−ええ。人々はこれをどうするんでしょうか。
スコット−多くの人たちはただ、それをめちゃくちゃにするだけだろうと、思われます。
メアリー−分かります。
スコット−でも、それは、クリシュナジにとって、何かすごく真実であることでした。
メアリー−まあ、彼はきわめて断定的に言いました − それがお好きならですが − 善と悪といったものがある、と。
スコット−ええ、悪です。
メアリー−一つは同じコインの裏面ではない。二つの間には何も関係がない。でも、どちらも存在している。
スコット−ええ。また私はこう言いましょう − クリシュナジが、私たち二人とともにこれについて話しているこの初めての時・・・私は、会話のその部分に来たとき、私たちがどこにいたかを正確に言えます* 。私たちは散歩中でした。私たちはちょうど・・・
メアリー−スイスです。
スコット−スイスです。タンネグ〔山荘〕から森を通って散歩していきました。
メアリー−ええ。
スコット−それはちょうど、小道が道路へ出てきたところでした・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・そこで、彼は最終的にこの話題へ来ました。私たちは立ち止まって、それについて話しました。
メアリー−ええ。
スコット−クリシュナジがそれについて語っていると、彼はとても躊躇って語りました。まるで、彼はこれらのことの幾らかを言わなくてはいけないと感じたかのように、です。なぜなら、私が或る面で、質問をすることで強いていたからだ、と思います。でも、彼もまた、何か私が正確には引用できないことを、言いました。それについて話しているとき、よく気をつけなくてはいけないという趣旨の何かを、です。なぜなら、それについて話をするなら、それを招きよせるからです。
メアリー−まあ、私もまさにそのことを言おうとしていました。彼は私に対して多くの回数、言いました。多くの回数ではなく、何回もです。むしろ、いいのは・・・悪については話をすべきではない・・・それを招き寄せてしまう。(メアリーの話を聴く)*
スコット−ふーむ。
メアリー−彼はそう言いました。そうですね、オーハイで彼は私にそう言いました。また彼は、人々のいわば汚染を、感じました − 邪悪な意図や自らに何か邪悪なものを持っている人々の、です。例えば、再びこれは、この伝説の進行からは脇道ですが、彼は私に対して言いました − 私は、ラージャゴパルやロザリンドをけっして〔オーハイのパイン・〕コテッジに入れてはならない、と。彼は言いました、あの二人を・・・
スコット−ふむ、ふむ、ふむ。
メアリー−彼らを、けっしてこの場所に入れてはならない。それで、まさに最後に〔1986年に〕彼が重病だったとき、私は彼のところに行って、言いました − 「あなたは私に対して、彼らの誰もけっしてここに入れてはならないと言われました。でも、扉のベルが鳴り、私が扉を開けて、ラージャゴパルが入り口の踏み段にいると仮定して、私はどうしましょうか。」もちろんラージャゴパルは、クリシュナジが亡くなりかけているとのそぶりを、けっして見せませんでした。でも、クリシュナジは何らかの形で、肩をすくめましたよね。まるで、まあ、私は死にかけているよ、と言っているかのようにです。言い換えるなら、何であれ、彼はそれに影響されるどころでなかったんです。
スコット−ふむ、ふむ。あなたは彼らのどちらかを〔パイン・〕コテッジに入れたでしょうか。まあ、ラージャゴパルは〔1993年に〕亡くなりましたが、あなたは今、ロザリンドをコテッジに入れるでしょうか。
メアリー−いいえ。とんでもない!
スコット−私も入れないでしょう。
メアリー−ええ。私は彼を、けっして入れなかったでしょう。または、彼女も、です − 彼女が来るだろうということではないですが。
 それで、彼は、善と悪について、現実的な力としての知覚を持っていました。
スコット−ええ、実在物として、です。
メアリー−私には分かりませんが、電気か何かがあるようなさまです。
スコット−ええ。
 まあ、私たちはここで少し逸脱をしました。(クスクス笑う)
メアリー−大きな逸脱です。1967年9月に戻りましょうか。
スコット−絶対に、です。
メアリー−どこでしたか。
 9月24日に、ロバート・ラッチェンス(Robert Lutyens)* 、メアリー〔・リンクス〕の兄ですが、クリシュナジは彼にたぶん数十年間、会ったことがなかった。数十年です!彼とその奥さんがクリシュナジを、マンスフィールド通り(原註2)の自宅でのお茶に、招待しました。彼らは会っていなかったと思います。何とまあ、どれだけだったのか、分かりません!
 この時点でメアリーとロバートは疎遠になっていました。彼の奥さんはこれらにあまり同情的でなかった。ともあれ、私たちはお茶に行きました。(スコット、クスクス笑う)クリシュナジは〔若い頃、〕マンスフィールド通りの邸宅にしばしば行きました* が、そこに長い間、行ったことがなかった。まったく興味深い時間でした。彼らは子どもを持っていて、その子がそこにいました。その子とロバートはすっかりうまくやっているように見えました。
スコット−それはすてきだ。
 ここが最後の一家の邸宅でしたか。私がいうのは、ここが、〔建築家〕サー・エドウィン〔・ラッチェンス〕と〔その妻〕レディ・エミリーが生活したところだったんでしょうか。
メアリー−ええ。彼らはそこで生活しました。ロバートがそこを相続していた。または、何かの形で取得していたんです。興味深かったです。
 それから、クリシュナジはさらに、若者たちとの討論会を行いました − それらは、ウインブルドン・コミュニティ・センター(the Wimbledon Community Center)で開かれました。〔ディヴィッドとサラル・〕ボーム夫妻が来て、私たちとともに〔広大な〕リッチモンド〔王立〕公園での散歩に行ったものです。クリシュナジとデイヴは話をしながら、先を歩きました。または、〔妻の〕サラルと私が話をして、先を歩きました。それが、彼とデイヴとのいつものあり方でした − 何かを熱心に議論していました。
 それから後で、その週だったと思いますが、クリシュナジとアラン〔・ノーデ〕と私は運転して、〔ロンドンの南43キロメートル、ウエスト・サセックス州の〕イースト・グリンステッド(East Grinstead)に、買う住宅を見に行きました!(二人とも笑う)そこはエリザベス朝の邸宅で、小さなものでした。その近くに住んでいる私の友人が、私たちに見に行くよう勧めました。そうしました。気に入りませんでした。でも、行って見るのはおもしろかった。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−これは、私たち〔三人〕がヨーロッパでどこに住むかという問題の一部でした − みんな一緒に、誰もが、です。これらは或る種、夢見がちなお話だったと思います。(クスクス笑う)
スコット−ええ、ええ。イースト・グリンステッドか・・・思い出せないな。でも、クリシュナジは、少年のとき〔神智学協会の庇護下で〕、オックスフォード〔大学〕へ入る手助けをしてくれる家庭教師と一緒に、そこで時間を過ごしませんでしたか。
メアリー−ええ。彼は〔イングランド南東部、〕アシュダウン・フォレスト(Ashdown Forest)* に泊まっていました。いわゆる受験塾があったんです。
スコット−そのとおりです。そこはイースト・グリンステッドに近くないですか。
メアリー−ええ。アシュダウン・フォレストはイースト・グリンステッドのすぐ近くです。メアリー〔・ラッチェンス〕は、その著書にそのことを書いています。
 同じ週に私たちは、写真〔撮影〕のために〔有名な写真家〕セシル・ビートン(Cecil Beaton)のところに行きました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−あれらの写真を撮ったのは、そのときです。私は〔若い時の〕モデルとしての経歴のため、長年セシルを知っていました。彼は冬にニューヨークに来たものです。パーティやあらゆる種類のふるまいがありました。それで、私たちは出版のための写真を撮りたいと思ったが、何もなかったとき、私は出し抜けにセシルに電話しました。私は何年も何年も彼に話をしていませんでしたが、とても興味深い人を撮影したいと思うかどうかを訊きました。私は、「あなたは彼が気に入るだろうと思います。彼は一番とほうもなく美しい人間ですから。」と言いました。それでセシルは、大いに興味を持ちました。それで、私たちは行きました。彼は写真を撮りました。
スコット−この時点でセシル・ビートンは何歳でしたか。
メアリー−ああ、何とまあ、彼は年を取っていましたよ。私が初めて彼を知ったとき − それは〔19〕30年代のことでした − そのとき彼は三十歳代だったと思います。だから、彼はこのときには六十歳代だったでしょう。
スコット−クリシュナジと彼はどうだったんですか。
メアリー−まあ、私は〔モデルとして、写真家の〕セシルを、果てしない撮影現場で見てきました − そこで彼はとても陽気で話し好きです。彼は自分のおしゃべりにより、撮影対象をリラックスさせる(クスクス笑う)やり方を持っています。彼はクリシュナジにも同じやり方でしたし、すごく熱狂的でした。なぜなら、彼は著しい顔を見たからです。私たち三人が行きました − アランとクリシュナジと私です。セシルは実際に、私たち三人の写真を撮りました。それは良くないです。でも、彼はその終わりに、私たち三人の写真を撮りました。
(写真)
セシル・ビートンが撮ったクリシュナムルティとメアリー・ジンバリストとアラン・ノーデの写真

スコット−ああ!その写真は見たことがないな。
メアリー−あまり良くないわ。
スコット−(笑いつつ)ああ、メアリー、何で僕は見たことがなかったのかな。
メアリー−分からないわ。(スコット、再び笑う)それは家に持っていると思います。彼はそれを、一種のプレゼントとしてやってくれました。
スコット−まあ、見たいものですね。
メアリー−まあ、あなたがオーハイに来るなら、見つけるようにしましょう。(笑う)
スコット−いいです。二月にそこに行きましょう。
メアリー−ふむ・・・
スコット−クリシュナジは、セシル・ビートンについて何と言いましたか。
メアリー−彼は何についても多くを言いませんでした。彼が何を言ったのかは憶えていません。(クスクス笑う)でも、私にとって見るのは愉快でした。(スコット、笑う)
スコット−ええ。私がセシル・ビートンについて知っているわずかなことからしても − それはごくごくわずかですが − 彼らの間に自然な親交が起こるとは、思われません。
メアリー−ええ。でも、セシルは、美しさと気品に対して優れた眼を持っていました − 彼はそれらのことに敏感でした。だから、私は、彼がそれを大いにやりたくなることを、知っていました。彼は写真の一枚を、私が好きでないものを、本に載せました・・・まあ、彼は自分の写真の本を出版したものです。
スコット−ええ。
メアリー−私はそれがあまり好きでなかったけれど、彼は、それがとても詩的で美しいと考えました。それはクリシュナジの横顔です − ほとんどカメラにそっぽを向いています。ともあれ、私たちはそうしました。
スコット−それはどこでしたか。
メアリー−ペルハム・プレイス(Pelham Place)のセシルの家です。彼はその頃、ロリーフレックス(Rolleiflex)と自然光だけで写真を撮りました。大きなスタジオの現場はなかった。
スコット−ふむ、ふむ。人工的な光はなかった、と。
メアリー−ええ、この時は、ね。私がいうのは、彼はおそらく他のものにはしたと想定されますが、その日、彼は、ロリーフレックスと、窓から入ってくる自然光だけを、使っていました。
 またもや、ウインブルドン・コミュニティ・センターで、ウインブルドンでの公開討論会がありました。
 もちろん、いつでもロンドンがどこでも近くにあるときは、〔サヴィル・ロウの仕立屋〕ハンツマンへの旅行がありました − その後で、私たちはラペリティフ(L'Aperitif)で昼食をしました。クリシュナジはそこがとても好きでした。残念なことにそこにはもはや存在していません。フォートヌム(Fortnum)が取って代わりましたが、そこは食事の質では相当な下げでした。そこは、〔ウェストミンスター地区の〕ジャーミン通り(Jermyn Street)にありましたが、誰かが建物を買い取ったので、そこを仕切っている人、メートレ・ドテル〔ホテル支配人〕は、ブラウンズ・ホテルに移りました。私たちはそこに行って一回試しましたが、同じものではなかった。シェフが違っていた、と思います。
スコット−いったいなぜ、あなたとクリシュナジは、食事がひどかったフォートヌムに、落ち着いたですか。
メアリー−分かっていますよ!ハンツマンに近かったからです!(二人とも笑う)それに、テーブルが近くくっついていなかったからです。メアリーがそこを提案しました。
スコット−ええ。それで、他のお客さんたちから幾らか距離が取れました。でも、やれまあ、ハンツマンから歩ける距離には、他のレストランもあったにちがいないが。
メアリー−そう思うでしょうね。でも、だめです。ありません。一つでも挙げてみてください。できません。
スコット−〔ホテル、〕クラリッジェスは?
メアリー−クラリッジェスはすっかり離れています。彼がそこが好きであったとは思いません。
スコット−ジャーミン通りか。ジャーミン通りに、他のはないんですか。
メアリー−レストランはね。ホテルはあります。ともあれ、フォートヌムになりました。
スコット−・・・そこでは食事がぞっとしたのに!
メアリー−(笑う)まあ、そこには、菜食主義のは一つだけ単調な料理がありました。
スコット−ええ。オニオン・フランか、チーズ・フランです。*
メアリー−ええ、フランです。そこは本当に何も推奨するものがなかったわ。(二人とも笑う)私たちが自分たちの伝統を造ったということを除外すると、ね − これは強制的になりました!
スコット−ええ。それとスコットランド人のご婦人です。
メアリー−ええ、アンジェラね。
 アンジェラはもうそこにいません。メアリーは先日、私に対して、彼女は今、〔高級百貨店〕ハロッズで働いていると、教えてくれました。
 クリシュナジは〔ロンドン南西部、〕ウインブルドンで6回の講話を行いました。私の日記には、公園での散歩等、いつもの憶え書があります。(笑う)これはかなり反復的ね。
 〔友人で女優、児童文学作家の〕パメラ・トラヴァースが昼食に来たのが、見えるわ。
スコット−ああ、そうだ。メアリー・ポピンズの〔作者の〕ご婦人だ。
メアリー−ええ。彼女はメアリー・カドガンと一緒に来ました。メアリー・カドガンが、クリシュナジに会わせるために彼女を連れてきたと、思います。それが、彼女の接触の始まりでした。問題は、インキがここで(クスクス笑う)かすれていることね!(スコット、笑う)私は苦労しています。
スコット−じゃあ、すべて書き起こすべきだ。
メアリー−何てこと!まあ、言われているとおり、私は長生きすべきね。
 今、私たちは10月に入ろうとしています!私たちはキングストン・ヴェイルを離れて、〔ロンドン西部のヒースロー〕空港へ運転して行き、それからクリシュナジとメイドのアドリアンナ(私たちを手伝うために〔イタリアの〕ヴァンダのところから来ていた)は、ローマへ飛びました。アランと私は、彼のフォルクスワーゲンで〔ロンドンの南東、ケント州の〕リド(Lydd)へ運転し、航空フェリーで〔海峡を越えて、フランス北部パ・ド・カレー県の〕ル・テュケ(Le Touquet)に飛び、さらにパリに運転して行きました。私は父のところに行って泊まり、それからニューヨークに飛びました。
 ああ、他のこの日記には、もっと詳細があります − 9月28日から10月4日まで、ね。「私はタクシーでクリシュナジとともに空港に行った。アランはメイドと追ってきた。」それから、私がアランと私についてパリへと言ったとおり。そこでの間、「私は来年のためにヴェルダン通り(the Rue de Verdun)の住宅を、4月借りることを取り決めた。アランは〔フランスの実業家でKの支援者〕ジェラール・ブリッツ(Gerard Blitz)に会い、それから10月6日にローマへ発つことになっていた。私は、ブリッツがラージャゴパルに会いに行った後で、ロサンジェルスで彼に会うよう、彼と手配した。」私は、これを記述したのかどうか、忘れましたが・・・
スコット−しました。ええ。ブリッツはラージャゴパルと話をしようとしていました。
メアリー−ええ、ブリッツは、〔K著作協会の状態について〕これはどういうことなのかを見出すために、実務家同士の話をしようとしていました。それで私たちは電話で話し、翌日、私はニューヨークに飛びました。それから一週間後に〔ロサンジェルス近郊の〕マリブへ飛びました。
 10月18日に、私はブリッツに会って、彼がラージャゴパルに会ったことについて、聞きました。どこかにその会話の記録があります。少なくとも私はそれをテープに録ったと思いました。今それがどこにあるかは、誰も知りません。でも、彼は見たところ、ラージャゴパルと長ーい話をしました − 彼はそれを私に叙述してくれました。それから私は、報告するために、ローマのクリシュナジとアランに電話をしました。ブリッツは、そうね、ラージャゴパルは範囲の十の点から話をすると、言いましたよ − 彼は時にはぶっきらぼうで敵対的であるし、それから迎合的になり、それからやたら操作しようとする。本当に、そこからは何も出てきませんでした。見たところ、彼らは何時間も話をしただけでした。
スコット−ふむ。
メアリー−ともあれ、私はそれらを報告しました。
スコット−あなたの報告に対するクリシュナジの反応を、思い出せますか。
メアリー−いいえ。ここには、「私は、〔国際電話の〕接続がよりはっきりするのを求めて、真夜中に目を覚まし、ローマに電話をかけ、アランに話し、次にクリシュナジに話した。」と言います。彼らは翌日インドに発とうとしていました。で、そういうことでした。
スコット−ふむ、ふむ。なぜあなたはその年、インドに行かなかったんですか。
メアリー−言えません。憶えていません。私はかなりの時間、インドに行きませんでした。始めの二回、行きましたが、それから長い間、行かなかった。多かれ少なかれ、インドで彼は私を必要としませんでした。そこには、必要なことをする人たちが、たくさんいました。アランは彼と一緒でした。私は少し、私自身の生活に一種、追いつかなくてはいけなかった。それで、私は進んでいき、そうしました。
スコット−もちろんです。もちろんです。
メアリー−ここには、「23日にクリシュナジから手紙を受けとった − ローマの空港で出されたもので、10月20日だったのだろう。」と言います。
 それから11月3日に、「私は空港でブリッツに会って、彼にクリシュナジからの書類を渡した。彼はさらにパリへ飛んで、翌日のラージャゴパルとの再会を延期する。」と。〔実業家の〕彼は〔協議のため〕彼に会うことになっていました。なぜそうしなかったのか、私は忘れてしまいました。彼は何かビジネス上の問題がありました。
 この時までにクリシュナジは旅に出ていました − 11月に彼は、〔南インドの〕リシ・ヴァレーにいました。私は11月13日に、リシ・ヴァレーのアランから手紙を受け取りました − 〔インドのK著作協会の担当者〕マーダヴァチャリ* から私たちの弁護士のための備忘録をつけて、です。それで、私たちはすでに弁護士に関与していました。
スコット−ラージャゴパルの訴訟でですか。
メアリー−ええ。まだ訴訟になっていませんでしたが、そちらのほうに向かっていました。まあ、それからの私のメモ書きは、クリシュナジが〔北インドの〕デリーから〔中部ヴァーラーナシーの〕ラージガートへ、デリーへ、・・・などと移動したときだけです・・・
スコット−ええ。
メアリー−ああ、ちょっと待って。これを離れる前に、ここには、「12月17日にブリッツは〔ビジネスの用事もかねてカリフォルニアに〕戻ってきて、〔オーハイで、ラージャゴパル側の〕ヴィゲヴェノ宅で、ラージャゴパルと七時間の会話を持った。」* と言います。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−「その後、彼は晩餐にマリブへ帰ってきた。彼はクリシュナジのために報告をテープに録った。私はラージガートのクリシュナジに電報を打った。」
 19日には、「ブリッツは私に電話してきて、明日、ヴィゲヴェノ宅での昼食は私の家で行えるかどうかを訊ねた。それで私は折り返し電話して、彼らを招待した。」と言います。20日には、「ブリッツは朝に到着して、Kのために二番目のテープ録りした報告を造った。ヴィゲヴェノ夫妻は、議論と昼食のために12時に来た。ブリッツは彼らに対して、自らのラージャゴパルとの会合への自らの反応を、伝えた。彼らは立ち去った。私は〔録音〕テープを〔南インドの〕マドラス〔現チェンナイ〕のKへ送った。」と言います。まあ、そういうことです。
スコット−はい。
メアリー−その頃、ブリッツは、ヴィゲヴェノ夫妻がどうにか役立ってくれるだろうと望んでいました。
スコット−ええ。
メアリー−でも、彼らはそのときからずっと〔ラージャゴパルの側に立って〕、クリシュナジに対する訴訟に積極的でした。
スコット−ふむ、ふむ、ふむ。
メアリー−で、それが、1967年の終わりでした。
スコット−1968年を始める前に、クリシュナジがあなたに手紙を書いたことについて、訊いてもいいですか。
メアリー−まあ、私は、1月3日に彼から手紙を受けとったことを、言おうとしていました − ジェラール・ブリッツがラージャゴパルとの会話の報告で作った〔録音〕テープについて議論するもの、です。彼が私に毎日、書いてくれたと思うのは、この年、実に67年だったと思います − 彼がインドに行ったとき、です。それは、彼が毎日少し書いた、という意味です − 自らのしていることを書きつづけた日記のように、です。彼は短いか長いか一段落を書いたものです。〔それがたまって〕二ページを埋めたとき、彼はそれを送りました。それで、私は毎日手紙を受けとらなかったんですが、継続する手紙、毎日から何かを保有する手紙を受けとったものです。彼はこれをそれらの最後まで継続しました。結局それが〔手紙から録音〕テープになったこと以外は、です。
スコット−ええ。憶えています。よく憶えています。
メアリー−ええ。
 それから私はアラン〔・ノーデ〕から、クリシュナジが次の秋、〔ロサンジェルスの東90キロメートルほどにある〕クレアモント・カレッジ(Claremont College)で話をすることについて、手紙を受けとりました。彼は、それが良い考えであるなどと思いました。私もそう思いましたし、クリシュナジは結局そうしました。
 ここには、12日に私はロサンジェルス空港で搭乗の合間に、ブリッツに会った。彼は、3月にロンドンでクリシュナジに会うことを、提案した。」と言います。また、メアリー・リンクス〔、旧姓ラッチェンス〕は手紙を書いて、私たちがロンドンに戻ってくるとき、〔ロンドン北部、リージェンツ・パークの東、〕メリルボーン道路(Marylebone Road)沿いのホワイト・ハウス・ホテルに泊まるよう、提案していました。
 1月13日* に、ロザリンド・ラージャゴパルが私に電話をしてきて、私に会いたいと言ってきました。彼女は午後にマリブへ来ましたが、これは完全に的外れな会話でした。彼女は、それらがどんなにひどいのかについて、とりとめもなく話し、それからアランに反対する話を始めました。私は、「いいですか、何でもあなたのお望みのことを議論していいですが、私はアラン・ノーデについて、あなたとは議論いたしません。彼は私の友だちですし、それはだめです。」と言いました。でも、彼女が本当に言いたいことは、彼を攻撃することのみでした。或る時点で彼女が、自分は私に見せたい証拠を持っていると言ったのを、憶えています − 何かを証明する手紙、です。彼女は外に出て、自分の車へ行き、何枚か紙を持って戻ってきて、さらに私に手紙を読みあげました(クスクス笑う) − 私がそれをすでに聞いていたということを、彼女は知らなかった。なぜなら、それは彼女がクリシュナジに対して書いた手紙であって、彼は私にそれを読んでくれたことがあった。または、私はそれを読んだことがあったからです。だから、彼女が言おうとしていたことが何であれ、この証拠は、何の証拠の手紙でもありませんでした。それは彼女自身の捏造でした。彼女は、私がそれを知っているということを、知りませんでした。(二人とも笑う)ともあれ、それは完全に的外れな会話でした。彼女はただお節介をしたり、やってやろうとしていただけでした。
 1月20日に私は、アランから、3月に会うことについて電報をもらいました。
 21日に、クリシュナジとアランは、〔インド西部の〕ボンベイ〔現ムンバイ〕に行こうとしていました。
 2月14日に、クリシュナジとアランは、ボンベイからローマへ発ちました。またその日、〔オーハイの〕ジェームズ・ヴィゲヴェノが電話をしてきて、彼とその妻アニーが私に会いに来ていいかと訊きました − そうなりました。彼らはマリブへやってきましたが、オーハイから − (クスクス笑う)ラージャゴパルという意味です − 私への提案を、持っていました。提案は、私がKWINC〔、クリシュナムルティ著作協会〕の委員会に、理事として加わるというものでした。それで、私は彼らに対して、これについてクリシュナジに相談したのかどうかを、訊きました。アニーは、それは必要だとは思わないと、言いました。(スコット、笑う)どうしてそれでいいんでしょうか!だから、私は、そういうことはクリシュナジから来るのでないなら、議論することさえできない、と言いました。それで、彼らは立ち去りました。(クスクス笑う)
スコット−さすがのメアリーさんだ。やれまあ、私は申し上げますよ・・・
メアリー−(笑う)ありえないわ!
スコット−まったく止まらない・・・
メアリー−信じられないわ。人々のやる・・・
スコット−それはまだ・・・でも・・・私がいうのは、それはまだ続きますよ!
メアリー−知っています。
スコット−あなたを委員会に加えることは、彼らの目的に見事に適ったんでしょう。
メアリー−ええ。私をお飾りにしておくことは、ね。
スコット−もちろんです。
メアリー−(笑う)ともあれ、翌日、私は〔ロサンジェルスの東90キロメートルほどの街、〕クレアモントに行きました − Kが次の11月にそこで話をするとき、彼が泊まる候補地を見るためです。ここでどこかで私は、クリシュナジから、ヴィゲヴェノ夫妻への伝言つきの電報を、もらいました。今、私はそれが何だったのか、忘れてしまいましたが、何かそのすべてと関わりのあることです。この時点で私のメモ書きには、「ガレージ横の新しい客用の住居が完成した。」と言います。これは、マリブの住宅に、二つの主な寝室とバスしかなかったからです。そこは、裏にあるフィロメナが使う部屋でした。それで、クリシュナジとアランがそこにいるとき、私は居間のソファーの上で眠り、フィロメナのバスを使いました。で、彼らが定期的に来ようとしているなら、もっと部屋が必要でした。だから、私は、区画のさらに奥に、ガレージ沿いに小さなアパートメントを建てました。
スコット−では、いいです。今ここには、前になかった新情報があります − クリシュナジとアランがマリブであなたのところに泊まっていたとき、あなたは居間のソファーで寝たわけです!
メアリー−ええ。(スコット、笑う)当然です!
スコット−では、クリシュナジはどの部屋を取りましたか。あなたの部屋ですか、客用の部屋ですか。
メアリー−彼は、そのとき客用の部屋だったところを、取りました − サムの部屋だったところ、です。その住宅には、私の部屋とそれからサムの部屋がありました。各々、バスが付いていました。
スコット−いいです。では、クリシュナジはサムの部屋を取りましたか。
メアリー−ええ。
スコット−アランはあなたの部屋にいた、と?
メアリー−ええ。
スコット−あなたは居間でクッションで寝た。
メアリー−ええ。
スコット−そして、メイド〔のフィロメナ〕のバスルームを使った。
メアリー−ところで、それは、後であなたがオーハイで寝たのと同じソファーでした!
スコット−ああ、あのソファーは知っています!あれはとても快適なソファーです!
メアリー−とても快適なソファーです。(スコット、笑う)すばらしいベッドになるし、整えるのがとても楽なんです − あらゆる種類のものがなくていいし・・・
スコット−分かります。私はそこで寝たときはいつも、自分はもっと背が高かったらよかったと感じました!(二人とも笑う)
スコット−12フィート〔、3メートル60センチほど〕のソファーです!
スコット−そのとおりです。自分はもっと背が高かったらよかったと感じました。
メアリー−まあ、目的には充分、適いましたね。
スコット−ええ。で、あなたはガレージ沿いに客用のアパートメントを建てましたね。どのようにそこを使うと想像したんでしょうか。あなた自身が使うと想像したんでしょうか。それとも、アランがそこを使うと?
メアリー−アランが離れて独立していたいと思うなら、使ってよかったし・・・
スコット−で、あなたは自室に泊まることができた!
メアリー−ええ!(二人とも笑う)または、〔家政婦の〕フィロメナがそこに移っていき、彼は彼女の部屋を取ってもよかった。
スコット−この時期にフィロメナはどこにいましたか。フィロメナは自分の部屋に泊まりましたか。
メアリー−私がソファーにいた間、彼女は自分の部屋に泊まりました。
スコット−いいです。それから、あなたは彼女のバスルームを共有した?
メアリー−ええ。楽でした。私は急いでキッチンを通り、彼女のバスへ行けました。
スコット−いいです。
メアリー−でも、ともあれ、そのとき完成しました。だから、すべてが整理されていました。
 3月2日に、私はニューヨークへ飛びました。そこで私を待つという、クリシュナジからの手紙がありました。私は、ニューヨークで9月のアパートメントを手配しました − そこは、その時、私の前の義理の妹のフラットでした。そこを彼女から借りました。
スコット−〔弟〕バドの元の奥さんですか。
メアリー−バドの最初のです。ええ、バドの最初の奥さんです。
 9日に私は、ニューヨークからロンドンへ飛びました。翌日、私はメアリー・リンクスとともに昼食をしました。それからアランが、ローマから電話をくれました。ここには、「私たちはカステララ(Castellaras)に行かないことにする。」と言います。カステララは南フランス〔、カンヌの北西方向〕にあります。〔実業家の〕ブリッツはそこに邸宅を持っていました。彼は、クリシュナジがそこに来て泊まることを、主張していました。そのことでは大いに行ったり来たりがありましたが、結局、私たちは一度も行きませんでした。
スコット−クリシュナジがそうしたくなかったからですか。
メアリー−ええ。いつの日か私たちはみんなでどこかの場所に邸宅を持とうという概念が、まだありました。ブリッツは、その計画がうまく行く場合には、クリシュナジにカステララを見てもらいたいと思った。
スコット−そのとおり。あなたたちがカステララ地域に邸宅を買えるように、ですか。
メアリー−そのようなことです。
スコット−いいです。クリシュナジは、個人的な理由のために、それは正しいと感じなかった?
メアリー−憶えていません。それは、私たちが気に入りそうなことのように、聞こえませんでした。そこは、邸宅を持つ豊かな人たちの閉ざされた居住地であり、他の誰も来たりその他ができないところの一つでした。私たちが気に入りそうには聞こえませんでした。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−それにどうかしら、私はブリッツをあまり好きになれなかった。私がいうのは、彼はそのとき手助けしてくれていましたが、・・・
スコット−そういうわけで、私はこれをお訊きしているんです − あなたがブリッツを好きになれなかったのか、クリシュナジが本当はブリッツを好きになれなかったのか、それとも、何か。
メアリー−まあ、あの時点で彼は手助けしてくれていたんです。それで、クリシュナジは彼のことを良く思っていましたが、彼はひどく気心の知れた人ではなかった。〔成功した実業家の〕彼は或る種、何でも指図したがりました。
スコット−ええ。
メアリー−14日に、私はメアリーとジョー〔・リンクス〕とその娘〔アマンダ〕と義理の息子とともに、晩餐をしました。メアリーは私に、クリシュナジについての自著の原稿を読むよう、くれました。〔Kの伝記の〕第一巻です。あれは大きな出来事でした。
スコット−最初の伝記のですか。
メアリー−ええ。伝記の第一巻です。
スコット−ああ!でも、それはずっと後まで、出なかったね?(原註3)
メアリー−まあ、そうでした。でも、彼女はすでに書きあげていました。ええ、原稿がありました。
 それから3月18日に、私はパリへ飛び、父のところに泊まりました。或る日、私たちは、〔フォンテーヌブローの森に隣接した〕バルビゾン(Barbizon)での昼食に出掛けました − そこの、ベ・ブロー(the Bas-Breau)という名の、とってもいいレストランに、です。私の〔美食家の〕父はそこをひいきにしていました。そこには貸部屋があったので、私は部屋を見て、ロンドンと〔パリの〕デ・ヴェルダン通りで借りる住宅との間隔のために、部屋を予約しました。私たちはまもなくそこに来るでしょう。
 それから22日に、私はロンドンに戻り、ホワイト・ハウス・ホテルに移りました。5時にメアリーとジョー〔・リンクス夫妻〕が来ました。私たちはみんな、空港にクリシュナジを迎えに行きました。彼はローマから飛んできました。
スコット−二台の別々の車で行っていたんでしょうか。
メアリー−いいえ、一緒に行きました。どうやって乗り切ったのか分かりませんが、そうしました。私はそのときそこに、車を持っていませんでした。でも、私たちがホテルに戻ってきたとき、アランはすでに自分の車で到着していました。彼はローマから運転しました。〔ローマの〕ヴァンダ〔・スカラヴェッリ〕がクリシュナジを飛行機に乗せたんですが、私たちは彼を出迎えました。その間に、アランは自分のフォルクスワーゲンを運転していました。だから、その夜、クリシュナジとアランと私は、自分たちの居間で一緒に夕食をとりました。ホワイト・ハウス・ホテルを選んだ理由は、そこには小さなキッチンがあるので、私がみんなのために食事を調えられたということです。
 3月23日に、〔フランスの実業家のジェラール・〕ブリッツが到着しました。クリシュナジとブリッツとアランと私は一日中、あらゆることについて議論しました。(クスクス笑う)ホテルで昼食 − そこでは昼食もできました。翌日、「再びクリシュナジとアランとブリッツと私で、午前中ずーっと議論。それから私は、彼らみんなをサヴォイ・グリルでの昼食に、連れて行った。」(スコット、笑う)「ホテルに戻ると、そこにはメアリー・カドガンが事務弁護士* の、マイケル・ルービンシュタインという人(a Michael Rubinstein)氏(原註4)を連れてきていた。彼は著作権法を専門としている。」と。
スコット−ああ、マイケル・ルービンシュタインの登場です。
メアリー−私たちの生活にマイケル・ルービンシュタインの登場です。それからブリッツは去って、〔インドの〕スナンダ・パトワールダーン(Sunanda Patwardhan)がクリシュナジに会いに来ました。彼女はロンドンにいました。
 それから翌日、25日に、「〔インドの〕キティ・シヴァ・ラオ(Kitty Shiva Rao)が現れた。彼女は一日間ロンドンにいた。彼女は朝食に来た。それからスナンダと夫、パマ(Pama)・パトワールダーンが来た。Kは彼らに対して、ラージャゴパルとの自らの訣別について、語った。」それから、私たちは〔サヴィル・ロウの仕立屋〕ハンツマンに行きました!(二人とも笑う)他にないわね!
スコット−もちろん!
メアリー−私はキティを買い物に連れて行った。それから、メアリー・リンクスを含めて、私たちみんなで、アンジェロというメアリーとジョーが好きなレストランで、昼食をしました。イタリアン・レストランです。
 3月26日には、「ボーム夫妻、メアリー・カドガン、ドロシーとモンターニュ・シモンズ〔夫妻〕が、学校について議論するために来た。」
スコット−ここでちょっと中断してもいいですか。マイケル・ルービンシュタインとの会話を憶えていますか。
メアリー−まあ、私たちは、事情がどうなのかについて、彼に最新情報を知らせました。ブリッツとの議論、そして、彼の言ったことと、彼がするだろうこととしないだろうこととそれらです。
スコット−マイケルは、あなたたちが正しい訴訟をするし、著作権を取り戻せるということとかそれらが、分かったんでしょうか。
メアリー−ええ、それが彼の見解でした。彼がいつ、その見解を私たちに伝えたのかは、憶えていません。今時点では思い出せません。ここ〔日記〕に言うかもしれませんが、それが本当は、私たちの最初の気がかりと関心事でした − クリシュナジがラージャゴパルと訣別したとき、何が起こるだろうか。〔彼が管理している、講話、討論会などの録音〕テープと書物、クリシュナジの著作権とすべてはどうなるだろうか。
スコット−もちろんです。
メアリー−それが本当にまさしく関心事でした。そういうわけで、〔著作権を専門とする事務弁護士〕マイケル〔・ルービンシュタイン〕が選ばれたんです − 彼は、ええ、生涯、著作権は手放せるわけがない、と言いました。(それがラージャゴパルが〔契約書に署名させて、〕* クリシュナジにさせていたことです。)それはイギリスの何かの法律に反する、と。それはよく憶えています。なぜなら、それに私は打たれたからです − 或る面で、何だかおかしなこととして、です。それは、何か奴隷制の概念に根ざしている、と。どのようにか、どうしてかを私に訊かないでください。でも、それが構成要件でした。
スコット−確かに。あなたの労働のすべてが、前もって他の誰かに帰属する、ということは、ね。
メアリー−ええ。それが考えでした。もちろん、これで、未来の展望に大きな違いができました。
スコット−もちろんです。もちろんです。
メアリー−ともあれ、ドロシーとモンターニュ〔・シモンズ夫妻〕がいました。彼らは学校について議論しに来たんです。〔計画を〕先へ進めて、学校のために〔イングランド南東部の〕カンタベリー(クスクス笑う)の近くの場所を買うという決定が、されました。
スコット−どの時点で、学校はイングランドになるということが、決定されましたか。そですね、なぜなら、前回聞いたとき・・・
メアリー−ええ。
スコット−・・・そして、ついでながら、前回話してから、私は、1967年のサーネンでの教育討論会の〔録音〕テープを引っ張り出して、聴きました。クリシュナジは、「私たちはオランダに学校を持とうとしている。」と言っています。
メアリー−ええ。
スコット−では、どうして、いつ、どこで、それはイングランドに変わったんですか。
メアリー−まあ、私が思い起こすところでは、彼は人々を送って、異なった国々について見出そうとしていました − オランダ、イングランド、フランス、スイスで必要条件は何なのか等、です。今では私は、いつかを憶えていませんが、イングランドが抜け出して勝とうとしていることが、明らかだったと思います。私たちは他の人たちからも聞いたにちがいありません。オランダでは、カリキュラムの一部をオランダ語で教えなくてはいけなかった、と憶えているようです − それでは、ことが相当に制限されました。フランスは、〔保守派で強硬な政策をも採った〕ド・ゴール〔大統領〕がまだ生きていて、彼が亡くなるとき、何が起こるだろうのか − 革命が起こるのか何かとか、誰も知りませんでした。スイスには、あまりに多くの私立学校があって、とにかくすべてがあまりに高価すぎました。イングランドは明白な選択でした。なぜなら、イングランドには、学問的に何でもしたいことができる自由があったからです。この時までに、クリシュナジがドロシー〔・シモンズ〕に校長になってほしいことは、確かでした。それで、中間の数ヶ月かに、明白に彼らは、幾つか調査をしたんです。私が憶えているのは、カンタベリーの場所は・・・私はそこを見ていないんですが、そこの写真は見ました。そこはブロックウッドほどすてきには見えませんでした。
 で、ドロシーとモンターニュ〔・シモンズ夫妻〕に話をした後で、クリシュナジとアランと私は、ラペリティフ(L'Aperitif)で昼食をしました。それからクリシュナジと私は、〔西部劇の〕『インディアン狩り(Scalp Hunters)』という映画に、行きました。(二人とも笑う)私たちはそこからホテルに歩いて帰り、部屋で夕食をとりました。
 ここ〔日記〕には、もう一日、私たちはメアリー〔・リンクス〕とともに昼食をしたこと、バインドレー夫人(Mrs.Bindley)とのお茶に行ったことを、言います。彼女はすてきでした、バインドレー夫人は。
スコット−彼女について話してください。なぜなら、彼女は古い神智学協会の頃からいたことを、私は知っているからです。
メアリー−ええ、彼女はスコットランドのTS〔、神智学協会〕の代表者でした。
スコット−ええ、わあ。
メアリー−(二人とも笑う)彼女は、ケンジントン・チャーチ通り近くの住宅に、自分一人切りで生活していました。私は、そこへお茶のために、クリシュナジを連れて行ったものです。それから彼らがおしゃべりをする間、私はケンジントン・チャーチ通りの古美術の店すべてを歩いてまわり、彼を乗せるために戻ってきました。
スコット−で、彼女はそこに自宅を持っていましたか。
メアリー−彼女は自宅を持っていました。彼女はすごく自立した小さなご婦人でした。
スコット−ええ。
メアリー−ディグビー家がさほど遠くないところに住んでいて、或る種、彼女に目配りしていました。
スコット−ふむ、ふむ。では、あなたは運転して、クリシュナジをそこにお茶に連れて行き、彼を降ろしたんですね。
メアリー−ええ。後年に* 、幾つかの夕方に彼は、〔ロンドンの〕フレンヅ・プレイス(the Friends Place)で講話したとき、彼はブロックウッドから来て、バインドレー夫人のところに行き、講話へ行く前にそこで休みました。彼女は小さなスコットランドのご婦人でした。とても、とてもすてきでした。白い髪と、或る種、鳥のような仕草で、ね。彼女はクリシュナジを敬愛していました。彼女は本当に魅力的でした。
スコット−ふむ。
メアリー−ここで幾つか歯医者の予約があります。クリシュナジは、〔本の〕編集委員会との会合を行いました。これは、出版委員会の始まりだったに違いない。もちろんそれは、メアリー・リンクスとメアリー・カドガンとディグビー夫妻でした。或る時点で、イアン・ハモンドがそこに加わります。
 29日に、グレイズ・イン(Gray's Inn)(原註5)のマイケル・ルービンシュタインに会いに行った後で、クリシュナジは歯医者に行きました。それから〔仕立屋の〕ハンツマン、それから〔靴屋の〕ロブ(Lobb)に、です。(クスクス笑う)
スコット−彼は〔パリだけでなく〕ロンドンでロブに行こうとしていたんですか。
メアリー−ええ、彼はロンドンのロブをもう一度、試しましたが、彼らは落第でした。
スコット−ええ。この時点で彼はどの歯医者に行こうとしていましたか。
メアリー−キャンピオン氏(Mr.Campion)です。メアリー〔・リンクス〕がキャンピオン氏のところに行ったと思います − 〔その夫の〕ジョーか誰かかな。そういうわけで、キャンピオン氏のところに行ったんです。
 ここには、同じ日、29日について言います − 「私は、パリへの汽船連絡列車に乗った。それから、レンタカーで〔パリ南部の〕オルリー〔空港〕に行って、そこで午後2時30分にクリシュナジに会った。」と。ああ、これはすてきな時でした。「私たちはバルビゾンへ運転し、オテリエール・ドゥ・バ・ブロー(the Hotellerie du Bas-Breau)に行った。完璧に天国のようだった。」と。
 入っていくと、園庭に入りました。そこにはすばらしいレストランの付いたホテルがありました。でも、園庭の反対側には、二、三の貸部屋のある建物が、もう一つありました。とても静かで、とてもすてきでした。私たちはそこに、二つのとてもすてきな部屋を取りました。森を散歩できましたが、かなり寒かった。すばらしかった。レストランから注文し、部屋に夕食を届けてもらうことができました。それでクリシュナジは、部屋着で夕食をとり、早く就寝できました。私たちの日課は、昼食の前に森を散歩し、長い昼寝をする、また散歩に行く、それから部屋で夕食をとることでした。
 それから二日後、4月1日に、彼は学校への手紙を口述しました。
スコット−ああ、あれが始まったのはそのときですか。
メアリー−ええ。
スコット−でも、初めの頃の学校への手紙は実際には、ずっと後まで回覧されなかった。
メアリー−うーん、それは真実です。まあ、私は、それが個別の手紙だったのか、あの一連の手紙の始まりだったのかを、知りません。それについて話しているのかどうか、見てみましょう。
スコット−なぜなら、学校への手紙(the letters to the schools)は、76年か、ともすると77年ぐらいまで、回覧されはじめたとは、思わないからです。
メアリー−まあ、彼が書いたのは一通だけの手紙だったかもしれません。私はよく憶えていません。
 私たちは〔パリ郊外、南東に40キロメートルほどの都市〕フォンテーヌブローへ運転して行ったようですが、クリシュナジは入りたがらなかった。彼は美術館好きの人ではない。彼は或る種、宮殿をじーっと見つめていました。それから私たちは、雪の中を歩きました。吹雪です!
スコット−何てまあ!
メアリー−うーん。寒かった!ここには、私たちはロンドンのメアリー〔・リンクス〕に話をした、彼女の孫のアダムがちょうど生まれたばかりだった、と言います。
 クリシュナジは朝に口述しましたが、私は、それがこれら学校への手紙だったのか、それとも、ただ人々への手紙、そうね、通信文だったのかを、知りません。
スコット−彼はあなたに対して口述しましたか。
メアリー−ええ、ええ。そうしていました。もしもアラン〔・ノーデ〕がそこにいたのなら、アランだったんでしょう。でも、私でした。
スコット−アランは速記をしましたか。
メアリー−いいえ。彼はすべて、大ざっぱな普通の手書きで書き出しました。
スコット−あなたも速記をしなかった。だから、クリシュナジは、あなたたちに口述していたのなら、ゆっくり話さなくてはいけなかった。
メアリー−ええ。まあ、何というか・・・幸いに彼は、速く口述する人ではなかった。それに、うまく行く速記の一種を開発しました。
 4月4日に私たちは、思い出すところ、〔夕食で〕レストラン〔、バルビゾン〕にいましたが、他のテーブルに、〔アメリカの公民権運動の指導者〕マーティン・ルーサー・キング〔牧師〕が撃たれたという新聞が、見えました。私はその衝撃を憶えています。*
スコット−ふーむ。なぜなら、あなたは彼と、〔1965年に合衆国南東部、アラバマ州の〕セルマからモントゴメリーへ行進をしたことがあったからです。マーティン・ルーサー・キング〔牧師〕の暗殺への、クリシュナジの反応は、どうでしたか。
メアリー−ただひどいと。まあね、私がいうのは、真に醜いことが起きたという感覚のことです。
 5日、翌日のことでしたが、私たちはパリへ運転していき、ヴェルダン通り(the Rue de Verdun)に面した小さな住宅に移りました。荷物を開け、ロンドンのアラン〔・ノーデ〕に電話しました。
 今回、私たちがロンドンを発ったときから、パリの講話が始まるときまでは、クリシュナジにとって休みであるとされていました。それで、私たちは午後に〔パリ西部の、〕「〔ブローニュの〕森」へ散歩に行きました。昼食には、友人だと思う人たちに会いました − メアリー〔・リンクス〕と、ヨー・デ・マンツィアーリです。ヨーは〔デ・マンツィアーリ一家の四姉弟の末〕妹ですが、結局、〔クリシュナジに〕背を向けて、ラージャゴパルを支持しました。彼女は、〔四姉弟の長女で、〕お姉さんのミマ・ポーターの影響下に入りました。でも、その頃、彼女はパリで生活していたし、愛想がよかった。
 その場所には、通いの料理人兼メイドが付いていました。だから、私の任務は軽かった。私たちはもちろん映画にも行きました。特にこの日には、〔西部劇〕『真昼の決闘(High Noon)』です。(クスクス笑う)
スコット−ちょっと中断してもいいですか。
メアリー−ええ。
スコット−それはヨーに関わることです − 彼女は結局、お姉さんのためにクリシュナジに背いたと、仰いました。一、二分、これについて話すのは、価値があるかもしれません。なぜなら、これはとてつもない現象ですし、教えとその周りの人々のこの世界では、続いているように見えるからです − そこでは、誰かがクリシュナジに背いたり、他の誰かに背いたりすることもありえます。では、明白に、それ自体の理由としては痛切ですが、誰かがクリシュナジに背くということは、信じがたく思えます。
メアリー−分かります。(穏やかに、悲しげに)
スコット−では、彼はこれにどのように反応しましたか。彼はこれをどう受けとりましたか。彼はそれをどうしましたか。または、なぜそれが起きたのかは、分かりますか。おそらくヨーは、お姉さんに影響されたんでしょうが、それがその基礎ではない。その基礎ではありえません。他の何かが進んでいたにちがいない。これは、とても多くの人たちに起きました。
メアリー−分かります。
スコット−ラージャゴパルの群衆を見てください。
メアリー−ええ。
スコット−〔神智学協会の指導者〕ウェッジウッドとアランデイル(原註6)のような人たちを見てください。
メアリー−ええ。
スコット−私がいうのは、実際、あらゆる種類の人たちです。
メアリー−ええ。
スコット−かつて誰かが私に言いました − 「ああ、まあ、クリシュナジは人々を放ってしまう。」と。でも、クリシュナジは、自らがけっして人々を放ってしまうとは、言いませんでした。
メアリー−彼はけっして誰をも放ってしまいませんでした。
スコット−人々がいつも彼から去りました。
メアリー−彼らが彼を放ってしまいました。
スコット−でも、どうして?!私はいまでも・・・
メアリー−人々はクリシュナジについて、とても強く感じました。そして、自分たちに対して彼がどうあるべきかについて、一定の期待を持っていたなら、そして、自分たちがそれを得られなかったとき・・・それらが何らかの形で認識されなかったとき、ひどい敵愾心が起きたかもしれません。私は分かりません。
スコット−他の何かが進んでいると思います。これもまた、ただの推測なのかもしれませんが、私が見てきた切れ端からは、クリシュナジが自我について言うことすべてにもかかわらず、人々の自我はしばしば実際には、どうしてか増大するように見えます。
メアリー−ええ。あなたの言う意味は分かります。
スコット−彼らは、「ああ、今、私は、誰か他の人物より、もっと宗教的だ。もっと覚りとか自己実現を得た。」とか、あれこれ考えてみはじめるようです。
メアリー−ふむ、ふむ。
スコット−彼らが実際になるのは・・・
メアリー−それは一種の超自我主義です。
スコット−ええ、超自我主義です − 人々が実際に真剣でないならば、です。
メアリー−ええ。
スコット−もちろん、クリシュナジはそれを養い育てません。人々は自らの優越性の確証のために、クリシュナジのところに行く、と私は思います・・・
メアリー−ええ、そのとおりです。
スコット−でも、彼らはそれを得られない。そのために彼らはクリシュナジに背くんだと、思います。
メアリー−その大きな要素があると、思います。
スコット−それから、また他のこともあります・・・誰かがクリシュナジの言葉を聞くなら、彼らは、とてつもなくすばらしいことの一瞥を、得ます。同時に、私たち自身を深く見つめるなら、本当にすごく醜いことが、たくさんあります。
メアリー−ふむ。
スコット−そして、クリシュナジが私たちに置いた深い挑戦は・・・
メアリー−深い挑戦は、大いにその一部分であると思います。なぜなら、私が考えているのは・・・まあ今、私は実際、〔ニューヨークの精神科医〕ディヴィッド・シャインバーグ(David Shainberg)〔博士〕* のことを考えています − そこでは、何かが見えたんですが、そこに昇ることができていない。ゆえに、堅固に立て籠もった自我は、「まあ、それは彼の欠陥だ。私のじゃない。」と言います。
スコット−ええ。
メアリー−それは教えの欠陥である* 。または、〔クリシュナジについて〕彼の生活の仕方の欠陥である。または、彼が櫛で髪をなでるやり方とか* 、何か・・・何でも、です。その欠陥が、私が実現できることをそうするのを妨げているものである − 彼さえ違っていれば、と。私のいうことは、分かりますか。
スコット−ええ。
メアリー−彼らは置き換えます・・・
スコット−自らの欲求不満と不適切さのすべてを、です。
メアリー−それはすべて彼の欠陥である、と。
スコット−それがもちろん、反復されます。
メアリー−ええ。
スコット−でも、とてつもないです。私がいうのは、人々が自分自身を捉えないということは、いまでも、とてつもないと思います − ここで、この人の前で、自分自身を捉えられなかった、ということは。
メアリー−ええ、ええ。誰もがみなそれを実現しないのなら、それは彼の欠陥であるとか、教えの欠陥であるとか、人々が繰り返し言うという事実、です。(笑いつつ)それは誰のでもなく、当人の欠陥です!
スコット−ええ、ええ。ここには、或る要素もあると思います。それについては、メアリー・リンクスが、私とともに話をしました − 〔子どものときからクリシュナジを知っていた〕彼女が1929年に〔「星の教団」の解散に伴って、〕或る面でクリシュナジから離れたとき、です。
メアリー−ええ。
スコット−それは、彼女にとって、あたかもクリシュナジとともにいることの強烈さと、彼がそれであるところのすべてと、彼が内的に行いつつあることすべてと、ゆえに或る人物に求められることすべて・・・彼女は燃え尽きたように・・・彼女はもはや向き合えなかった。それで彼女は、考えることなく、何もなく、ただそっぽを向きました。*
メアリー−ええ、ええ。
スコット−一定の形では、私たちがどうにか見つめているということが、それ自体で何か意義深いことです。なぜなら、ほとんどの人たちは、そうね、彼らは誰かとともにいて、それからその人物に少し飽きてくると、彼らは単にしばしば彼らに会いません。彼らに毎週会う代わりに、毎月会うでしょうし、それから一年に三回でしょう。そのようにして、ほとんどの人たちは疎遠さに応答するんです − ほとんどが、クリシュナジに反応したようには、他の人たちに反応しないんです。
メアリー−ええ。
スコット−ここには、彼について何か深遠なことが、言われます − すなわち、この深い種類の挑戦があった、と。
メアリー−もちろん、メアリー〔・リンクス〕の場合にも、です。まあ、自分の理由について話をするのは、彼女しだいです。でも、彼女は、自分にとってそうだったこの種のリンボ〔、地獄の辺土〕* に生きつづけることができない、ということでもありました。
スコット−ええ、もちろんです。
メアリー−私がいうのは、彼女は世間的な生活を送りつつ、同時に霊的な生活を送ることができなかった、という意味です − それは彼女にとって、あまりに大きすぎました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−でも、彼女は彼に背かなかった。
スコット−ええ。メアリー・リンクスはけっして彼に背かなかった。
メアリー−ええ、ええ。
スコット−でも、彼女は或る種、空間を取り、離れなくてはいけなかった − 自分の乗っている回転木馬を降りて、です。
メアリー−ええ。
スコット−気をつけてください。1929年はかなりむちゃくちゃな時でもありました − 〔「星の教団」解散宣言がなされた、オランダの〕エーデ〔城〕(Eerde)(原註7)と、その他すべては。
メアリー−ええ。
スコット−でも、またクリシュナジは、予めこれらを見通していた、と思われます。または、彼はこれが起きるのを知っていた − すなわち、彼に賛同している人たちが、突然背くということを、です。
メアリー−ええ。あれらすべての(クスクス笑う)変な神智学者たち、アランデイル形の人 − そのすべてを、彼は見てきていました。強烈に自己中心的で・・・
スコット−ええ。ラージャゴパルの群衆です − その妻〔ロザリンド〕と、それから〔1931年生まれの一人〕娘〔ラーダー・スロス〕 − 〔ラーダーは〕小さな子どものとき、自らが成長しながら、クリシュナジの注意と愛情を受けて、それから、ああなってしまった!
メアリー−ええ。
 〔パリの〕シュアレス夫妻(the Suareses)ももう一種類のこの例です。*
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−お分かりでしょうが、クリシュナジが〔もうパリの〕シュアレス家に泊まらないことを決断したとき、それは、自らがそこで歓迎されていないと感じたからです。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−彼らは彼のことを当たり前だと受けとって、不平不満を言いました − 「あなたがここにいらっしゃるとき、すべきことがとても多いんです。こんなに緊迫です。」と。その種のことです。
スコット−ええ。
メアリー−クリシュナジのような敏感な人にとって・・・
スコット−もちろんです。
メアリー−彼はいつもお客でいなくてはいけなくて・・・
スコット−ふむ、ふむ。彼はそれをとても強烈に感じたものです。
メアリー−彼はそれを特に感じたものです。
スコット−もちろんです。
メアリー−それからシュアレス夫妻は、意地悪く彼に背きました。
スコット−ああ、そうでしたか。
メアリー−ええ、そうです。
スコット−そうですねえ、信じられないなあ!
メアリー−ああ、そうです。ええ。彼らは彼のことを当たり前だと受けとって、彼に対して敏感でなかった。それから、彼が〔他所に泊まるという〕代替案を持ったとき・・・
スコット−そのとき彼らは敵対的に変わってしまった。
メアリー−・・・意地悪に変わってしまった。ええ。
スコット−私にとって、これはもう、とても変な振る舞いです。
メアリー−ええ。
スコット−私は、これらの仲間内に入る前に、人生でこれを見たことがあるとは、思いません。親しい接触を持ってから、或る種、接触を失うことに行きかねない。
メアリー−ええ、或る種、消え去ってしまう。
スコット−ええ。でも、この辛辣さ、この敵対、この怨恨に行くことはない。ただもうとっても奇妙だと、思います。
メアリー−ふむ、ええ。人々はクリシュナムルティについて漠然とは感じなかったということだと、思います。彼らは何かを見て、彼を尊崇したか、または、彼ら自身の特有の理由のために何らかの形で彼を拒絶しました。
スコット−(大きなため息)ともあれ、たぶん進むべきでしょう。この〔録音〕テープにはたぶん10分残っています。日付のことではどこにいますか。
メアリー−まあ、4月の第1週にパリにいますね。
 アラン〔・ノーデ〕は10日に現れました。「その午後、(クスクス笑う)〔スイスの〕トゥーンから〔取扱業者〕モーザー氏が電話して、次の水曜日、新しいメルセデスを持って行く(スコット、笑う)と言った。」と言います。「私たちはうずうずした。」と。
 それから11日に、〔マンツィアーリ四姉弟の長女で、KWINCの副会長〕ミマ・ポーター(Mima Porter)が昼食に来た。彼女がクリシュナジに話をする間に、私はお使いに行った。後で〔靴屋の〕ロブで、クリシュナジとアランに会った。」と。あれは、クリシュナジが彼女に対してこう言っていたときであったと、思います − 「いいですか、私はサーネンでの講話の前に、ラージャゴパルから答えがほしいんです。私は再びKWINC〔、クリシュナムルティ著作協会〕の委員会の一員になり、あらゆることについて情報を知るのか、さもないと訣別しなくてはなりません。」と。それで、彼女はそのとき、オーハイに戻って、ラージャゴパルに話をし、対処しようと言いました。それで、彼は彼女に何かを期待しました。
 それから何が起きたのか。ああ、まあね、(クスクス笑う)私はレンタルの車を返しました。それで今、私たちは、アランの車と、新しいメルセデスの(スコット、クスクス笑う)展望だけを持っています!私たちはもう一つ映画に行きました。何だったかな。ジャン・ギャバンの出たフランス〔・イタリア合作〕映画です。名前は・・・自分の手書きが読めないわ・・・『パリ大捜査網(Le Pacha)』に見えますが、はっきりしません。〔フランスの実業家で支援者、ジェラール・〕ブリッツが昼食に来ました。
スコット−クリシュナジが見た映画の研究をして、どこかに学術博士が出るかもしれないな!
メアリー−ええ!(二人とも笑う)翌日、私たちが行ったものがもう一つあります − 〔アメリカのアクション映画〕『殺しの分け前(Point Blank)』というものです。
スコット−スリラーか。
メアリー−何だったのか見当も付かないわ。消えうせてしまいました・・・
スコット−ええ、ええ。(クスクス笑う)
メアリー−・・・私の認識からはね。(スコット、また笑う)私たちはノートル・ダム〔大聖堂〕に行きました。復活祭の日曜日でした。私たち三人はノートル・ダムに行き、復活祭の音楽を聴きました。すてきでした。
スコット−ふむ、ふむ。それが何だったのか、憶えていますか。
メアリー−分かりません。合唱隊が何かを歌っていました。
 〔パリの支援者〕マルセル・ボンドノー(Marcelle Bondoneau)、ジゼラ・エルメンホースト(Gisela Elmenhorst)とその妹が、その日、昼食に来ました。また一つ映画があります!(笑いつつ)毎日行きました!これは、うーん、イタリア映画で、何か超自然的なものですが、自分の手書きが読めません。私たちはブヴァール(Bouvard)家で昼食をしました。私は、ブヴァール将軍とその奥方が、クリシュナジを聞きに行くフランスの世界の一部分であったことに触れた* 、と思います − 彼らはパリで生活していて、夏には〔スイスの〕サーネンに来ました。彼らはおもてなしをしてくれたものです。彼らはあなたの時代より前です。彼は退役したフランスの将軍でした。彼女は幾らか神秘の女性でした。何か漠然としたものがあって・・・まあ、後世へ噂話をしないことにしましょう。で、大事なことではありません。(スコット、笑う)
スコット−いいですよ。
メアリー−ともあれ、彼らはとてもすてきな昼食を振るまってくれました。
スコット−噂話、メアリーにふさわしい噂話ね。
メアリー−もう言わないで!(二人とも笑う)それから何が来たかな。ああ、メゾン・デ・ラ・シミエ(the Maison de la Chimie)で、彼の第1回のパリ講話です。さて、以前の年の〔会場、〕サル・アディヤール(the Salle Adyar)と比べて、これは大きな改善でした。
スコット−ああ。
メアリー−ここは〔パリ中心部で東西に走る〕グルネル通り(Rue de Grenelle)にありました。そうだと思います。
スコット−ジゼラ〔・エルメンホースト〕がこれを組織していたんでしょうか。
メアリー−ああ、そうです。そして、マルセル〔・ボンドノー〕、フランスのグループ全体がやりました。ここ〔日記〕には、「〔イギリスの女優で詩人〕アイリス・ツリー(Iris Tree)* が先週、土曜日に亡くなったと読んだ。」と言います。私はちょうど二、三週間前にロンドンで彼女に会ったとき、彼女が亡くなろうとしていたのを、知りました。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−癌です。
 17日に〔イングランドでの支援者〕ジェーン・ハモンド(Jane Hammond)が昼食に来ました。〔取扱業者の〕モーザー氏は〔スイスの〕トゥーンから、新しいメルセデス280とともに到着しました。
スコット−280 SEです。
メアリー−ええ、SE です。
スコット−3. 5 ね。(メアリー、笑う)それは、あなたが今持っているのと同じ型だと思います。
メアリー−私たちはみんなドライヴに行きました。
スコット−あなたが今持っているのと同じ型ですか。
メアリー−ええ。同じものですが、先代のものです。私たちはみんなドライヴに行きました。
スコット−では、ジェーン・ハモンドはパリに来ましたか。
メアリー−ええ、講話に。
スコット−そして、クリシュナジとの昼食に来た?
メアリー−ええ。後で私たちは、〔パリ西部の、〕「〔ブローニュの〕森」で散歩しました。
 それから、翌日、18日に、私は、新しいメルセデスにクリシュナジを乗せて、メゾン・デ・ラ・シミエでの第2回の講話に行きました。その車は大成功でした。彼は楽しみました。私も楽しみました。誰もみんなが幸せでした。(クスクス笑う)
スコット−(笑いつつ)きっとそうでしょう!
 私たちはたぶん第3回の講話を終了できるし、それからたぶん今回の記録を終了させるべきです。
メアリー−いいです。それから何が起きたのか。私たちはマダム・ドゥシェ(Madame Duchet)を昼食に呼びました。私たちは後で映画に行きました − (二人とも笑う)奇妙なことね!どれだったかは、〔この日記には〕言いません。そして、いつものように「〔ブーローニュの〕森」で散歩しました。それから、「午後に映画。」とだけ言います。で、それは役に立たないわ。
スコット−いや、あなたは、歴史から貴重なものを奪っていますよ・・・
メアリー−分かっています。
スコット−・・・どの映画を見ていたかを言わないことで、貴重な情報を!
メアリー−私はここでアーカイヴス〔資料保管〕担当者をしているわけではないわ。
 彼の第3回の講話は、4月21日にありました。アランの生徒が何人か、昼食に来ました。それから(笑いつつ)私たちはジャンヌ・モローの映画を見に行きました。
スコット−これで終わりにしなくてはいけないだろうと思います。〔録音〕テープが切れようとしているからです。
メアリー−ああ、キティ・シヴァ・ラオ(Kitty Shiva Rao)が1968年4月24日に、昼食に来ました。私たちは午後に、〔ブローニュの森のある庭園、〕バガテルに行きました。すてきな・・・(ここでテープが切れる)

原註
1)そこは、パイン・コテッジからほんの50ヤード〔、約45メートル〕ほどである。
2)ここは、クリシュナジが少年の頃、知っていたエドウィンとエミリー・ラッチェンス夫妻の家族の邸宅だった。
3)それは1975年まで出なかった。
4)50年代から80年代まで、マイケル・ルービンシュタインは、「書籍業の弁護士」として知られていた。彼は1960年にペンギン・ブックスのために、数十年間の猥褻物の法律を覆して〔D.H.ローレンス著〕『チャタレー夫人の恋人』を出版する権利を勝ち取ったことで、有名になった。
5)グレイズ・イン〔グレイ法曹学院〕は、ロンドンにある四つの法曹学院(Inns of Court.法廷弁護士と裁判官たちの専門職団体)の一つである − 或る人物がイングランドとウェールズで法廷弁護士として開業するためには、それら法曹学院に所属しなくてはならない。
6)ジェームス・インゴール・ウェッジウッド(James Ingall Wedgewood)* とジョージ・アランデイル(George Arundale)は自ら、〔神智学協会に関連する〕リベラル・カトリック教会の高位の聖職者になった。彼らが自分たちの高貴な霊的な地位であると考えているものを、クリシュナジが承認しようとしなかったとき、彼らはクリシュナジは悪霊に取り憑かれたと主張して、彼を非難した。
7)1929年にオランダ、エーデ〔城〕においてクリシュナジは、彼の支援のために彼の名において創設されてきた組織すべてを、解散した。彼は、「真理は道のない土地である・・・」と言って、また、人々が内的な解放につながると期待しているもののどれ一つとして、実際には人々を自由にしないということを言って、自らの仕事のために寄付されていた資産すべてを、返還した。これが、彼の神智学協会との分断の始まりだった。


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