第4号 1966年5月から1966年6月まで


序論
メアリーの批評の幾つか(例えば、「その後、何が起きたのかを、見ましょう。」)から、そしてメアリーがこの対談で示す正確な日付と時間から、彼女が対談のために目の前に日記を開いておいたことが、明らかである。
 この対談が扱う時期の重要な進展は、メアリーがクリシュナジを〔マリブの自宅に〕招く主人になりはじめたことである。彼らの関係もまた、移り変わっていくように見える。「運転手でお使いをするメアリー」から、友人と仲間のメアリーへと移って行き、〔秘書〕アラン〔・ノーデ〕のクリシュナジとの友情に取って代わりはじめる。
 この号で議論する時期でたいへん意義深いことに、メアリーはクリシュナジの生活のもっと「秘教的な」側面を初めて経験する。そして、彼はこれについて彼女と話をする。

メアリー・ジンバリストの回顧録 第4号
スコット−私たちがおしまいにしたところは、あなたがちょうどイギリス海峡を越えて飛ぶために(クスクス笑う)あなたの車、あなたのジャガーを、〔クリシュナジが好きな〕メルセデスでない車を、航空機に乗せようとしているということでした。
メアリー−まあ、それは今日聞こえるほど奇妙ではなかったんです。(二人ともクスクス笑う)それは、水面にも着水できる、むしろ小さな飛行機でしたが、車輪も付けていました。それは、ランプ(ramp)によって水面から発進したし、それから車輪により滑走路に降りたものです。
スコット−ああ、本当ですか。
メアリー−そう思います。それが私の憶えているさまです。
スコット−では、どれほどの人たちがいたんでしょうか。まあ、一ダースの人たちを乗せた小さな客室ですか。
メアリー−いいえ、たぶん八人ほどです。どれほどの車を入れられたのか、思い出せませんが、明白に一台以上、たぶん二台か、まあ四台かも。分かりません。航空機の前面が口のように開いていて、車はいわば腹に入っていきました。(スコット、笑う)それから乗客たちは行って、客室に座りました。
スコット−私がそれを見逃したのは残念です。(二人とも笑う)いいです。では、クリシュナジはあなたとともに行きましたか。
メアリー−クリシュナジとアランと私です。ごく短い時間を掛けて、〔フランス北部パ・ド・カレー県の〕ル・テュケ(Le Touquet)へ飛んでいきました。
スコット−そこからパリへ運転したわけです。
メアリー−まあ、そうでなく、パリには行きませんでした。私たちはもっとすてきなところへ行きました。私はミシュラン・ガイドの調査から、ル・テュケのどこかで昼食をとるすてきな場所を、見つけておきましたが、それから私たちは運転して、〔フランス西部ノルマンディ地方の都市ルーアンの南20キロメートルほどの〕ヴィロンヴェ(Vironvay)という場所に行きました − フランスの地理がお得意ならば、それはルヴィエ(Louvier)の南〔東〕です。
スコット−そんな得意じゃないです。
メアリー−宿屋がありました − レ・セゾンという一種の田舎の宿屋です。とてもすてきでした。なぜなら、古い建物を取りまくコテッジのようなものだったからです。私は、暖炉つきの大きな部屋を取りました。クリシュナジとアランは他のどこかにいました。彼らがどこにいたのかは、知りません。同じコテッジではなかった。でも、晩餐は私のコテッジで取りました。私たちはルーム・サーヴィスを注文し、火を起こしました。すばらしかった。
スコット−ああ、いいなあ。
 これもまた、いつでしたか。これは4月でしたか。
メアリー−これは5月12日でした。
 で、私たちはそこでその夜を過ごしました。誰もが良く眠りました。翌日は美しい一日でした。正午ごろ、私たちはパリへ向かって運転しました。私はコク・アルディ(Coq Hardi)でテーブルの料理を注文しておきました。コク・アルディに行ったことはありますか。
スコット−いいえ。
メアリー−まあ、そこは魅惑のレストランです。
スコット−どこですか。パリですか。
メアリー−パリの西、マルメゾン(Malmaison)近くの出たところにあります。
 夏には外でテラスに座ります。裏には丘があります。すべてアジサイで土手を築いています。
スコット−いいなあ!
メアリー−美しいのよ!
 それに食べ物が極上です。明白に私は父に、何回もそこに連れていってもらいました。
スコット−(クスクス笑う)ええ、もちろん。
メアリー−それで、私はそこについて知りました。でも、もちろん彼らはそこに行ったことがなくて、私たちは贅沢な昼食を取りました。
スコット−ふーん。
メアリー−次々と野菜のみごとな皿、そして果物。クリシュナジは楽しみました。
スコット−この時までに、〔菜食主義者になった〕あなたは、オムレツとチップスから十分、回復していたわけです。(笑う)
メアリー−ああ、オムレツとチップスははるか昔に過ぎ去りました。(笑う)それで、私たちは午後にパリに入りました。私は4時頃クリシュナジとアランを、シュアレス家に降ろしました。それから私はオテル・ポン・ロワイヤルに進みました − そこには前に泊まったことがありました。私は二日間、彼らに会わないで、父と時間を過ごしました。
メアリー−5月15日にクリシュナジは、〔会場の〕サル・アディヤールで第一回の講話を行いました − そこについては前に議論したと思います。
スコット−ええ。
メアリー−講話を別にすると、買い物がありました。(スコット、クスクス笑う)私たちは何かを求めてスルカ(Sulka)に行ったし、当然、靴を求めてロブ(Lobb)に、です。これら美しい品物が運び出されて、履いてみて、とても気持ちよかった。それから私たちは〔パリ西部、セーヌ川沿いの、ブローニュの〕「森」(Bois)(原註1)に行き、バガテル(Bagatelle)(原註2)に行きました − そこはすてきです。私たちは歩いてまわりました。お茶か何か飲み物をとり、それから私が運転して彼らを送って行った、と思います。それから・・・
スコット−講話には、何が起きたんでしょうか。誰がクリシュナジを、〔会場の〕サル・アディヤールに乗せて行ったんでしょうか。
メアリー−(長い休止)憶えていません。
スコット−アランは、それら講話を録音していましたか。
メアリー−ええ、していました。していました。
スコット−あなたは講話の前にクリシュナジに会ったでしょうか。
メアリー−いえ、いえ。私は彼に会おうとしませんでした。
スコット−その日、彼に会おうとしたのでしょうか。
メアリー−その日はそうかと思います。その記憶がありません。それについてメモ書きはありません。クリシュナジとアランは、散歩に出かけたものです。或る日、私はマルセル・ボンドノー(Marcelle Bondoneau)をシュアレス家に連れていき、彼女をそこで降ろして、彼らが散歩から戻ってくるのに会いました。それで、私は車を持っていたので、私たちは〔ブローニュの〕「森」に戻り、そこでまた別に散歩をしました。
 20日に私たちは運転し、〔パリ最古の教会がある〕サン・ジャルマンへ散歩に行きました。長い散歩です。
 翌日、私は運転し、クリシュナジとアランとププル・ジャヤカールを、〔フランス中部、パリの南西70キロメートルほどの〕シャルトル(Chartres)に連れて行きました。明白に私たちは再び〔そこの〕大聖堂を通り抜けて、昼食をとりました。
スコット−同じ場所で昼食をとりましたか。
メアリー−ええ、同じ場所です。ヴェイユ・メゾン − そこはラ・ヴェイユ・メゾン(La Vieille Maison)と呼ばれていました。それから私たちはパリに戻り、ププルを彼女の〔滞在先〕ホテルに降ろし、また別の散歩のために〔ブローニュの〕「森」に戻りました。(クスクス笑う)
 では、その後、何が起きたのかを見ましょう。
スコット−私的な討論会はありましたか。
メアリー−まあ、私はそれに行こうとしているところです。もう一つ若者たちの討論会が行われようとしていました。
メアリー−アランが手配して。
メアリー−アランが手配して。私は、〔滞在先の〕オテル・ポン・ロワイヤルにその討論会のために、すてきな部屋を借りることができました。私は彼らをそこに連れて行き、それを見守りました。後で私は彼らを連れて帰り、マリアンヌ・ボレル(Marianne Borel)とのお茶に行きました。マリアンヌ・ボレルを憶えていますか。とてもフランス的な、白髪の、小鳥のようなご婦人です。
スコット−いいえ。
メアリー−いや、憶えているでしょう。私は今でも心の目に彼女が見えます。彼女はいつも、〔夏のスイス、サーネン集会で〕テントでキャンプする人たちが食事をするために、お金を蓄えていたものです。まるで小さな・・・
スコット−今、私は分かりはじめてきました。
メアリー−ええ。
スコット−ああー、私は彼女を見たなら、たぶん認識できるでしょうね。
メアリー−認識できるでしょう。
 まあ、ともあれ、彼女はお茶を振るまいました。それは、フランス人たちみんなのためでした。それで、私は彼らみんなに会いました。
スコット−それはどこでしたか。
メアリー−彼女の自宅です。彼女がお茶を振るまいました。
 別の日に、私はそこでマルセル〔・ボンドノー〕と、マー・デ・マンツィアーリ(Mar de Manziarly)(原註3)とともに、昼食をとりました。私は彼女にお茶会で会ったと思います。でも、それから昼食でも再会しました。それから〔ブローニュの森の中にある庭園〕バガテルで、クリシュナジとアランとの散歩でも再会しました。
 別の日に私たちは、〔森の南西の〕サン・クルー(Saint-Cloud)へ散歩に行きました。それで、講話、散歩、買い物でした − それが本当に起きていたことです。
スコット−サン・クルーで、パリをすばらしく見渡せる古い城が、あったところでしょうか。
メアリー−ええ、ええ。そこが散歩をしたところです。
スコット−すごくいい。
メアリー−ええ。
メアリー−見てみましょう − 次に何が起きたのか。
スコット−この時に、あなたは〔クリシュナジに関する〕メアリー〔・ラッチェンス〕の伝記を活用していなかったことに、私は気づきました。それらはまだ書かれていなかったからです。
メアリー−ええ。
スコット−だから、あなたはマー・デ・マンツィアーリのような人たちについて、知らなかった − 彼女のクリシュナジとの歴史とか、これら他の人たちの幾つかについて。
メアリー−まあ、たぶん話は聞いていたんでしょう。少なくともちょっとはね。ご存じのように、これらは〔神智学協会から〕古い友人でしたし、あの初期の部分でした。
スコット−ええ。
メアリー−私は何かを知っていたはずです − 一般的な話から、という意味です。
 (クスクス笑う)際立った人物がもう二人いました − ブヴァール将軍とご夫人(General and Madame Bouvards)です。(クスクス笑う)彼は退役将軍でした。彼女はかなり世俗的な人でした。彼らは毎年、サーネンあたりにいました。マダム・ブヴァールは昼食会とかいろいろ開いたものです。それで、私たちは行って、彼らとナーガスワラン(Nagaswaran)という人と、昼食会をしました。ナーガスワランはインドで、クリシュナジのためにヴィーナ(原註4)を演奏しました。また彼は、アラン〔・ノーデ〕とフランシス〔・マッキャン〕と私が共有していた家でも、それを演奏しました。彼はなかなかすてきでしたが、フランスへ引っ越したと思います。学校を始めたはずだと思います。ともあれ、彼がマダム・ブヴァールのところで演奏しました。
 再び散歩と講話と〔ブローニュの森の〕バガテルです。
 私は晩にコンサートに行き、アランと買い物をしました。他は何かな。
 ああ、そうだ。私たちは或る日、映画に行きました。『姿なき殺人者(Ten Little Indians)』という〔イギリス〕映画です。(スコット、笑う)〔A.クリスティ原作の〕推理サスペンスでした。誰かが殺害されました。だから、とてもおもしろかった。
スコット−ああ。そうでしょうね。クリシュナジのサスペンス大好きは、みんなが知っています。(スコットとメアリー、クスクス笑う)あなたは、クリシュナジとともに食事に出かけたことに触れませんね。
メアリー−ええ。彼はそもそもレストランでは食べなかった − ブージヴァル(Bougival)、ピカルディ(Picardie)での一回を除いて、です。
スコット−あなたはシュアレス家に食事に招かれなかった?
メアリー−一、二回はされたと思いますが、常時ではなかった。
スコット−彼らはどのようでしたか。
メアリー−まあ、彼は小さな地の精みたいな人でした。彼はとても忙しくて、本当に没頭していました − 何か翻訳をするのと、〔ユダヤ神秘主義〕カバラーについて書物を書くのに、です。彼はそれに没入していました。
 〔妻の〕ナディーヌ(Nadine)は、グレイの髪で中年の、まさにフランス的なようすのご婦人でしたが、実は二人ともエジプト人でした。彼らはエジプトから来たんです。
スコット−ああ、そうだ。今それを思い出しました。
メアリー−もう一つ若者たちの討論会がありました。私はK(原註5)をそこに連れて行きました。それから連れて帰りました。(笑う)これは伝説ね。私は、〔宿泊先の〕オテル・ポン・ロワイヤルとシュアレス家からの間のあの短い距離を、運転しました。私が角に来ると、そこに彼らの建物があり、ジャガーは停まりました。運良くちょうど角に駐車場があって、私はそこに入れることができました。(二人とも笑う)どうやってか知らないけれど、やりました。それで、私はアランとクリシュナジに、「行ってください。この取り扱いは私に任せてください。」と言いました。
 幾らかの異議の後、彼らは行きました。これが(笑う)5月29日のことでした。これに続いて、絶対的に狂乱と喜劇の一日がありました(クスクス笑う) − ジャガーを、もう一回動かそう、発進させようとして、ね。私は最終的に(笑う)オート・クラブを通して、誰かを捉まえました − 何だか分かりません。「マ、ヴォワチュール、エ、アン、パンネ〔私の車が壊れています〕。」と、私は言いました。
 「ウィ、ウィ、マダム」と返事が来ました。彼がやって来て、それを取り扱いました。(スコット、クスクス笑う)で、彼がどうやって取り扱ったのかというのは、それを引っ張りだしたということです。私はそれを見つけられなかった!(スコット、笑う)〔その日は、フランスでの〕ペンテコステ、そう、〔聖霊降臨を祝う〕五旬祭だったんです。
スコット−ああ。
メアリー−(笑う)私はKをジャガーでスイスに乗せていくはずでした。(スコット、笑う)それで、ペンテコテだったんで、誰もどこにもいなかった。
スコット−あなたの車は運び去られたが、どこなのか分からなかった。
メアリー−そのとおり。訊くべき人も見つからなかった。(二人とも笑う)想像できるでしょうが、私は途方にくれました!私は最後に、(笑う)それを引っ張り出した男を特定し、彼がいると思われる場所を知りました。彼は、そこで私に会おうと言いました。彼はそれを直すことができなかったが、私たちは何とかそれを取り出そうとしていました。それで、私はタクシーでパリの東部へずっと行きました − どこか恐ろしいところへ、です。(笑う)そこは、車が廃車になったとき、みな行くところです。
スコット−ええ。(笑う)
メアリー−廃車置き場です。(二人とも笑う)私のは、大きな門があり、巨大な錠前がついた大きな壁の向こうに、ありました。で、その男は(笑う)フェンスに登りました。警察がやってくる場合に備えて、外で見張ることになりました。(二人とも笑う)私は思い描きました・・・
スコット−自分の車を盗んで逮捕されると!(笑う)
メアリー−ええ、そのとおり!そして、そうね、これらあきれた外国人に対する警察の激怒は、・・・
スコット−ええ。(笑う)
メアリー−・・・我が国に来て、これらばかなことをやらかす、と。(スコットとメアリー、笑う)でも、とにかく彼は鍵をこじ開けるか何かしました。なぜなら、彼はどうにか門を開け、車を出したからです。彼はまた中に入って、キーを盗まざるをえませんでした − それは事務所に隠してありました。私が見張りをしている間、彼はそれらをやりました。最後に彼は車を出したんですが、ギアをごくローに入れて、時々止まったり動いたりしてやっと行きました。
スコット−へー。
メアリー−ひどいわ!そして、このひどいガタゴトと動作するあのようすで、運転しました。車全体が壊れかけているので、二度とこれから回復しないだろうと思いました。彼はそれを、〔凱旋門のある〕エトワール〔広場〕の近くのジャガーの代理店に、持って行きました。どうやってたどり着いたのか、分かりませんが、そこに着きました。そこに置いておきました。この時までに、私は(笑う)かなり神経がぼろぼろになっていました。
 翌朝、私はジャガーの人たちに電話をしましたが、彼らはことの全体についてかなり曖昧でした。それで私は電話でアランをつかまえて、「私といっしょに来てください。さもないと、けっして取りもどせないでしょう。」と言いました − 私たちはスイスへその朝、立つ(スコット、クスクス笑う)予定でした!(メアリー、笑う)
 私たちは出かけて行きましたが、アランはすばらしかった!彼は、誰がその場所全体の長なのかと、彼の事務所がどこにあるかを見つけ出し、私たちは階上のそこへ行きました。彼は先に立ち、私を遵えて入って行きました。大きなデスクの向こうに、上司がいました − 他の偉い人たちと協議している重要人物です。アランは歩みよって、完璧なフランス語で言いました − 「ムッシュー、私はあなたに大きな問題を持ってきています。ご婦人は今朝、自分の車で発って、たいへん著名な紳士をフランスとスイスへの旅行にお連れする予定になっています。車が走ることができることが、最高に重要です。見ていただけるでしょうか。」と。(笑う)それにより、ジャガーのシェフは(スコット、クスクス笑う)手下を指し示して、彼にこの手当をするよう言いました。(スコット、クスクス笑う)
 私たちは外へ出て、彼に付いていくと、哀れな車がありました。で、私たちは乗り込んで、さらにギアをローに入れて行く車で、もたもや、〔パリ西部の、ブローニュの〕「森」への悩ましいドライヴです。何だか分からないが、道すがらずっとガタゴトしました。技術者が運転をしていましたが、彼は無理やり車を走らせました。見たところ、車は壊れていなかったが、何かがはまり込んでいました。無理をし、無理をし、無理をすることで・・・突然、走ったんです!(笑う)
 ジャガーの代理店に戻ったとき、私は、「昼食後まで出発は延期できますが、今から3時までの間に、車を詳細に見ていただかなくていけません。」とか何とか、言いました。
 彼らは、そうしましょう、と言いました。
 それからアランと私はタクシーに乗り、クリシュナジを捉まえて、シェ・コンティ(Chez Conti)に行きました。そこはパリのイタリア・レストランで、とても良いです。創設者で所有者のコンティ氏は、私の父にとても愛着がありました。なぜなら、私の父は〔食通として〕お得意先であっただけでなく、(すべてのレストラン所有者は、私の父を敬愛していました。(スコット、クスクス笑う)彼は完璧な(笑う)お客さまだったからです。)コンティ氏はまた競馬ファンだったからです。父は馬を持っていて、毎日、競馬に行きました。
 それで、コンティ氏はすっかりうれしがって、私たちにすばらしい昼食を振るまいました。クリシュナジはイタリア料理を食べるのを喜んで、「なんで毎日ここに来なかったんだろう?!」と言いました。(二人とも笑う)
 昼食の後、私はジャガーを取ってきて、ホテルから自分の荷物を載せ、シュアレス家で彼ら二人に会いました。車は完璧に走っていました。それで、〔パリの南西、フランス中部の都市トゥールを中心とした地域、〕トゥーレーヌ(Touraine)に出かけました
スコット−今、私は、結局のところシュアレス夫妻が誰かに対して、自分たちがクリシュナジを泊めることはあまりに困難だと言ったことを、知っています。それはその年だったんでしょうか。
メアリー−ええ、そうです。
スコット−どうしてそのことを知ることになりましたか。
メアリー−そのとき、そのことは知りませんでした。後でスイスで知りました。
スコット−じゃあ、今、それについて話しているから、そのことを教えてください。
メアリー−まあ、彼らは年老いてきていたし、クリシュナジが彼らのところにいることは、特権というよりむしろ負担になりつつありました。彼らは、「あなたがここにいらっしゃるとき、とても面倒で、とても仕事が多い。」といった発言をしました。クリシュナジは居心地が良くなかった。
スコット−もちろんです。
メアリー−彼は、自分が彼らを利用していると感じました。
スコット−ええ。
メアリー−クリシュナジは何も言わなかった。でも、マルセル・ボンドノー* がこれを知ることになりました。彼女は、シュアレス夫妻の古い、古い友人で、クリシュナジの古い、古い友人でした。初期の頃に〔オランダの〕オーメン〔の集会〕に行っていました。彼女はすてきで陽気なご婦人でした。シュアレス夫妻が感じていることの結果として、スイスでその夏、彼女は私に言いました − 「クリシュナジがいつもお客であるのは正しいとは思えない。彼はパリに来るとき、自分の場所を持つべきです。あなたが何かを借りて、彼のために仕切るべきです。それで、そこは彼の場所だけれど、あなたが必要なことをしているように、ね。」と。
 私は、「そうですね、私は自分が割り込んでいるような気持ちになるでしょう。これはシュアレス家に関して既成のことです。とても悪い感情を引き起こすでしょう。」と答えました。
 彼女は、「いえ、いえ。それは問題ではありません。重要なのは、クリシュナジが自らにとって正しいことをしてもらうことです。」と言いました。
 で、彼女はそれを彼に提案して、彼はいいと言いました。
 彼女が私のところへ戻ってきて、話してくれたとき、私は「私は合衆国に戻らなくてはいけないから、場所を見つけるにはあなたの助けが必要でしょう。」と言いました。
 彼女は、「私たちがどこかを見つけましょう。そしてあなたが、あなたがそれを借りて、取り仕切ってください。」と言いました。お分かりでしょう、全部をです。それで、それが合意されたことでした。
スコット−分かります。
メアリー−でも、私はパリからの〔スイスへの〕この退去に、戻らなければなりません。なぜなら、これは、クリシュナジがアランと私の二人に対して、時折、自分は気絶すること、そして、それが起きるなら、私たちは怯えるべきではなく、彼が表すところの「身体に触れてはいけない」ことを、言ったときであったからです。それで、私たちは5月31日にパリを出て行こうとしています。まあ、ひどい交通渋滞で・・・
スコット−〔フランス南東部リヨン、マルセイユ間を走る南部高速道路、別名〕オートルート・ドゥ・ソレイユ〔太陽の自動車道〕ね。
メアリー−ええ。オートルート・ドゥ・ソレイユを〔地中海方向へ〕南へ行きます。私たちは運転していました。なぜか私はクリシュナジを一瞥したんですが、彼はゆーっくりと気絶して、左へ、多かれ少なかれ、私の膝へ倒れ込みました。私は本能的に手を出しました。彼の頭がハンドルに当たるであろうことを怖れました。車は停められませんでした。そう、車はそこら中に溢れていましたね。アランは後ろの席にいました。*
スコット−このジャガーは明白に左座席の運転でしたか。
メアリー−ええ。私はそれをアメリカ用に注文しておいたんです。
 これが起きたさまは、とてつもなかった。スロー・モーションのようでした。彼はドスンと倒れなかった。とってもゆっくりと、花がたわむように・・・
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−それで、私は運転を継続することができました。運良く私は右側の路線にいました。可能なだけ早く、出口があったとき、私たちは自動車道を降りました。
スコット−アランは、何が起きたのかに気づいていましたか。
メアリー−アランは後ろの席にいましたが、何もできませんでした。
スコット−でも、何が起きたのかに、気づいていましたか。
メアリー−ええ、そうです!気づいていました。2,3分後に、叫び声をあげて、クリシュナジは気がつきました。
スコット−どれほど彼は気を失っていましたか。2,3分ですか、5分ですか。
メアリー−たぶん5分です。
スコット−何かの感覚がありましたか。
メアリー−いいえ。でも、興味深かったです。私には何の感覚もなかったですが、車でそれが起こると毎回、なぜか予告がありました。私が意識していたということではなく、それが起こるちょうど前に、なぜか私は振り向いて彼を見ました。毎回です。とても奇妙でした。
スコット−ふむ。
メアリー−なぜなら、それは後に数多くの回数、起きたからです。でも、これが一回目でした。
スコット−彼は何か言いましたか。
メアリー−ええ、言いました。彼は、私の膝に倒れ込んだとか何かについて、何か半ば冗談めかした弁解をしました。私は、彼が何て言ったのかを、正確には忘れてしまっています。それで、運転を続けました。
スコット−でも、説明はなかったですか。
メアリー−まあ、彼は、それは一連の講話の後で時々起こると、言いました。そのときは説明してくれませんでしたが、後で説明してくれました − すなわち、それは、或る種の緊張を経た後に、一時的に身体を離れることについてのことだ、と。パリ講話とそのすべての努力により、あれがその契機になっただろう。彼はまた、公衆の前ではそれはけっして起こらないだろう、とも言いました − 自分がふつうにではなく、よく知っている人たちと一緒にいるのでなければ、それはけっして起こらないだろう、と。(メアリーの話を聴く)*
スコット−ええ。
メアリー−それで、私たちは運転をつづけました。私は〔パリの南西、フランス中部の都市トゥールの南、〕モンバゾン(Montbazon)のホテルに部屋を予約しておきましたが、私たちはそこがすごく嫌だと分かりました。そこは、ムシュー・コティ(Monsieur Coty)のような誰かの元の邸宅でした。ご存じでしょう、大実業家ですよ* 。それをホテルに変えたんですが、あまりに飾り立て、自惚れていました。私たちはまったく気に入らなかった。でも、そこで夜を過ごしました。そうせざるをえなかった。私たちは翌日、運転を続けることを決定しました。
スコット−メアリー、この気絶に戻ってもいいですか。
メアリー−もちろんです。
スコット−あなたは、クリシュナジが気絶する前から、または、気絶した後で、彼の変化に気づきましたか − 後で彼が元気を回復したように、です。それとも彼は後で・・・うーん、違った気分とか、何かだったんでしょうか。
メアリー−いいえ。
スコット−まったく変化はなかった?
メアリー−ええ。前に何も特別な様子ではなかった。
スコット−彼は後で、もっと疲れていなかったですか。それとも、後で疲れが減っていましたか。
メアリー−それには答えられません。それで何かになったとか、何か緊張を軽減したのなら、それは身体的な緊張ではなかった。
スコット−では、目に見える効果はなかった?
メアリー−ええ。なぜそれが起きたのか、私は知らなかったし、訊ねませんでした。私がいうのはただ − 彼は私たちに対して、それが起きるかもしれないと言ったし、起きたということです。
スコット−アランについて、これは前に起きたことがあるんでしょうか。
メアリー−いいえ。私が知るかぎりでは。起きたとは思いません。なぜなら、彼はそれを私たちの二人に対して説明したのを、憶えているからです。
スコット−ふむ、ふむ。彼はいつそれをあなたたち二人に対して説明しましたか。
メアリー−(ため息をつく)正確には憶えていません。彼はその日、それを言ったかもしれませんが、旅行の前です。私は確かにそのときそこで、それを予期していなかった。お分かりでしょうが、私は、彼が気絶とか何かするだろうかどうかを、見張りつづけていませんでした。
スコット−でも、それは何週間も何週間も前といったことではなかった。
メアリー−ええ。相当、間近でした。
スコット−クリシュナジは、いつこれが来るだろうかが分かると、言うことがありましたか。
メアリー−いいえ。
スコット−じゃあ、緊張の後にそれが来たし、彼はそれが分かったわけです。
メアリー−まあ、そうでした。ええ。後には或る日、彼が歯医者の用事をした後、それが来ました。彼の言うところでは、あれは「身体にとって衝撃」だった、と。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−また彼は、一度カリフォルニアで、下唇の内側に嚢胞ができました。医師はそれは取り出さなくてはいけないと言いました。それで私たちは運転して、医師の診療室に行きました。彼には〔局所麻酔剤の〕ノヴォカインが与えられた、と思います。そして、それが切除されました。どのみち深刻ではなかった。でも、帰り道の中程で、彼は再び、同じように気絶しました。*
スコット−ふーん。
メアリー−ニューヨークでも一度そうなりました − 私たちが〔ロンドンから〕到着したとき、です。私が〔弟バドの前妻、〕前の義理の妹から借りたフラット* に、私たちは行きました。〔東西に走る〕61番街の小さなフラットです。私は彼をその部屋に連れていき、どこにあるかを見せました。まさに旅行の疲労からだと思いますが、彼は気絶しました* 。
スコット−ふむ。
メアリー−で、それは、何か、彼の言うところの「身体への衝撃」とか、或る種の尽力、緊張の後のことでした。そして、彼が気がつくときの叫びは、もちろんいつも・・・
スコット−ええ、私はあの叫びを聞いたことがあります。
メアリー−ええ。でも、叫びは何も痛いことを意味していなかった。彼は叫びに気づかなかった。私が言うのは・・・彼はそれを聞いて・・・
スコット−ええ、彼はそれを聞いたんです。ええ。
メアリー−それで彼は目覚めましたが、それは痛みとか何かのしるしではなかった。
スコット−ええ、ええ。でも、明白に彼は或る程度、自分の気絶を予知しました。なぜなら、それが起こる直前に、それが起こるだろうと教えてくれたからです。言い換えるなら、彼は、身体がこれら講話で緊張を経てきたことを、知っていたにちがいありません。
メアリー−そうなるかもしれない、と。ええ。
スコット−それが起こるかもしれない、と。ええ。
メアリー−でも、彼は、私が思い起こすところ、彼は「見張っていなさい。」というようなことを指摘しませんでした。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−それが起こるかもしれないと、教えてくれるだけでした。そして、不安がるべきではないし、身体に触れるべきではない、と。
 もちろん、それが起こると、私は彼に触れました。私は彼が頭をハンドルにぶつけるのを防止しようとしたから、そうせざるをえなかった。彼は私の膝に倒れ込みましたが、その他で私たちは彼に触れませんでした。私は、できるだけ右腕で彼を支えただけで、左手で運転しました。でも、私は彼に何もしなかった − 彼を持ち上げようとか何も、です。私はただそれが過ぎ去るのを待ちました。
スコット−ええ、ええ。
 いいです。〔本題に戻ると、〕あなたたちは、不快な実業家の邸宅を立ち去った。
メアリー−ええ。(笑う)そこはまた恐ろしくうるさかったし、菜食主義者を正しく評価しなかった。
スコット−(笑う)お気の毒!
メアリー−で、翌日、私たちは〔少し遠回りして、パリの南西200キロメートルほどで、フランス中部、ロワール川沿いの街〕アンボアーズ(Amboise)へ走りつづけました。アンボアーズで昼食をしました。私がすでに言ったように、クリシュナジは城を大して訪問しない人です。それで、私たちは城に入らないで、〔南東に隣接した〕シュノンソー(Chenonceau)へ進みました。
スコット−ああ、あれは美しい。
メアリー−私たちはそこに着いたとき、あたりを散歩しましたが、またもや城に入りませんでした。私たちは、そこに行った別の旅行では、入りました。でも、外側からそれを見るのはすてきですし、私たちは庭園を歩いて回りました。
 それから私たちは進みました − 再びミシュラン・ガイドが私のために、お役目を果たしてくれていました − 私が見つけておいた〔フランス中部、東へ200キロメートルほど、ニエーヴル県の、ロワール川の東に〕プーギュ・レ・ゾー(Pougues-les-Eaux)という場所へ、です。(スコット、笑う)プーギュ・レ・ゾー〔の北東部〕には、シャトー・デ・ミモン(Chateau de Mimont)というのがあって、そこはホテルに変えられていました。そこは、まわりに風致地区のある城でした。すばらしい!そして所有者がご主人でした。あれら城のホテルの一つです。知っていますね。
スコット−ええ、知っています。
メアリー−そこはすてきでした。田舎にあったし、野原、樹々、うねうねと続く美しい田舎がありました。私たちはすてきな部屋を取りましたが、サル・ア・マンジェ〔ダイニング・ルーム〕であの夕食はとても良かったのを、憶えています。彼らは、菜食主義の挑戦をとてもうまく受けて立ち、とてもよかった。
スコット−ああ、よかった。
メアリー−私は、あれは、クリシュナジが自らの初期の人生について話をしているとき、何かふしぎな・・・何か存在に、私が気づいた初めてのときの一つであったと、憶えています。私は記憶の中でダイニング・ルームが見えます。そして何かを感じました − 確認可能でない何かです。或る種の存在(presence)というのが、私の説明できるあり方です。それらは、私が思いつける言葉にすぎません。
スコット−ええ。
メアリー−それは一種の・・・まあ、私はそれを空中の振動と叙述したことがあります。何か電気的なもの、何か、或る種の聞こえないブーンというような何か・・・
スコット−ええ、ええ。
 あなたはそれについて、何かアランに言いましたか。またはそれについてクリシュナジに。
メアリー−憶えていません。でも、後で私たちがそれについて話をしたとき、私にはシャトー・デ・ミモンの晩のあの記憶が、戻ってきました。その晩、私はそれについて話をしたとは思いません。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−でも、それもまた記憶の中で失われています。
 それで、私たちは翌日、散歩に行って過ごしました。とてもすてきでした。
スコット−では、あなたたちは、主な食事を昼食でとったんでしょうか。それとも、晩餐で、でしょうか。
メアリー−昼食です。
 まあ、シャトー・デ・ミモンでの最初の夜、私たちは晩餐に主な食事をとりました。なぜなら、夕食時にそこに着いたばかりだったからです。
スコット−ええ。では、クリシュナジはその頃でも、お昼に主な食事をとりましたか。
メアリー−ええ、ええ。私たちは夕食をとりましたが、昼食のほうが大きな食事でした。
スコット−なぜかなと思いますが。
メアリー−まあ、彼は〔スイス、チューリヒの〕ビーチャー・ベンナー診療所に行ったことがありました。
スコット−ああ、それが彼らのいつも推奨するところですか。
メアリー−それが養生法の一部でした − 主な食事は昼食に食べるんです。そして、初めに果物、次に生のもの、次に調理したものという、あの用件がありました。
スコット−ええ。
メアリー−私たちはみんな、以来それに従ってきました。
スコット−知っています。
メアリー−彼はそこでそれを始めました。それが彼らの食事の与え方です。そして、食餌療法はそこでの治療法の大きな部分でした。この食べ物のプログラムを支持する書物、医学書があります。それに彼はそれが好きでした。だから、そういうことだったんです。
スコット−ええ、もちろん。
メアリー−それから、私たちは〔スイス、レマン湖の南西の端、〕ジュネーヴへ運転を続けました。
スコット−すみません。いつもアランが後ろの座席で、クリシュナジは・・・
メアリー−ええ、前です。
スコット−では、アランは運転しなかった?
メアリー−ええ、私の車は。彼は後で自分の車を運転しました。彼はあまり経験豊かな運転者ではなかった。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−それに・・・私は彼の運転の仕方が好きでなかった。私は、彼は車に対してきついと思いました。
スコット−ああ。
メアリー−それで、私は運転すべてをしました。
スコット−分かりました。
メアリー−彼は一回か二回、私と交替したことがあったかもしれません。でも、クリシュナジが車にいて、ではなかった。そうだったとは思いません。私は大した運転者だと思われていました。クリシュナジが承認しました。
スコット−ふむ、ふむ。(笑う)
メアリー−ともあれ、私たちは到着しました − さあ、古き良きオテル・ドゥ・ローヌに戻りました!
スコット−どの道を来たのか、憶えていますか。
メアリー−ええ、憶えています。でも、名前を示すことはできないでしょう。通ったのは・・・まあ、地図を見ると、西でしょう。わずかに西南の部分で・・・そこにヴォルテール(Voltaire)という場所はありますか。
スコット−ヴォルテール、〔フランス中央部、ソーヌ・エ・ロワール県の〕シャロン・シュル・ソーヌ(Chalon-sur-Saone)というのはありますが。
メアリー−いいえ。そんなに南にはいませんでした。私はシャロンを通ったことがあります。
スコット−シャロン・シュル・ソーヌね。〔フランス南東部の都市〕リヨンの道を通ってきたんでしょうか。
メアリー−いえ、いえ。うーん。ミモン* − 私たちは・・・やれまあ、場所は分かるんですが、名前が出てきません。たぶん私の別の日記にそれが載っているんでしょう。〔この録音を〕止めたいですか。そして私が調べましょうか。それとも、気にしませんか。
スコット−ええ、だいじょうぶです。メモ書きをつけるだけにしましょう。後でそれは分かるでしょう。
メアリー−いいです。何ページか後で脚注をつけるなら(原註6)、たいへん混乱する〔録音〕テープになるでしょう!
スコット−(笑う)違いは何も出ないよ。
メアリー−ともあれ、私たちはオテル・ドゥ・ローヌに着きました。それからもちろん翌日、私たちはジュネーヴのお使いをしました。パテク〔・フィリップの時計店〕。また私が思うのは、あの場所でネクタイを・・・
スコット−〔ネクタイ店の〕ジャケ(Jacquet)です。
メアリー−ええ。ジャケです。ありがとう。で、私たちはそれから〔東に走って〕グシュタードに行きました。レ・カプリス〔というアパートメント・ハウス〕にです。この年、私たちはみな、しばらくカプリスに泊まりました。なぜなら、〔宿泊先の〕タンネグ〔山荘〕がまだ開いていなかったからです。クリシュナジは或る種のスタジオを取りました。私の思い起こすところ、私のフラットの隣です。でも、私たちはみんな、私の居間を使いました。そして、私が料理をしました。
スコット−アランはどこに泊まりましたか。
メアリー−アランは私のところに泊まりました。その年は余分な部屋がありました。
スコット−前の年のように。
メアリー−そのとおりです。でも、私たちはほとんどの時間を私の居間で過ごし、そこで食事をとりました。
スコット−レストランで食べに、出掛けたんでしょうか。
メアリー−いいえ。私たちは、車のために〔サーネンの東方向で、スイス中西部にある首都ベルンの南東、〕トゥーン(Thun)に行ったとき、トゥーン湖沿いのレストランに行きました。トゥーンから、そこにある小さな船で湖を回っていくと、〔北岸に〕メーリンゲン(Merlingen)という町があります。そこには、ホテル・ビータス(the Hotel Beatus)があります。私たちはそこに昼食に行ったものでした。でも、私の思い起こすところ、〔サーネン地方の山村〕グシュタード(Gstaad)では昼食をしませんでした。私たちは家で昼食をしました。
 もちろん、私たちは散歩をしました。
 或る時点で、クリシュナジは気管支炎になって、ベッドに留まりました。〔プエルトリコから来た〕ビアスコェチェア夫妻は、すでにグシュタードにいたので、昼食に来ました。
 ここに昼食についてのメモ書きがあるわ − トゥーンから〔オテル・〕ビータスへ、湖のフェリーに乗りました。見たところ、私たちはアランのためのフォルクスワーゲンを探していました。なぜなら、彼には車が必要だったからです。それで、車の買い物が多くあって・・・
スコット−ふむ、ふむ。トゥーンで、ですか。
メアリー−ええ、トゥーンでです。そこが、私たちは〔取扱業者〕ムシュー・モーザー(Monsieur Moser)から、クリシュナジの車を得たところです。
スコット−ええ、ええ。はい、憶えています。(二人とも笑う)
メアリー−モーザーさんとはたくさん取り引きをしました!
スコット−知っています。
メアリー−クリシュナジは、自分のメルセデスを〔預けておいた〕モーザー氏のところでの保管から出して、それをグシュタードに運転して帰りました。
スコット−それはどんな色でしたか。
メアリー−シルヴァーです。
スコット−そのとおりです。
メアリー−初めのシルヴァー。これは初めの車です。
スコット−ええ。これは初めの車です。
メアリー−再び私たちは、ビアスコェチェア夫妻との昼食に行きました。私たちはどこでも歩いたし、アランは〔北東方向へ、スイス中西部にある首都〕ベルンに何かのことで行きました − 何かは忘れてしまいました。たぶんヴィザでしょう。私はKのために昼食を作りました。私たちは散歩をしました。
スコット−あなたたちの散歩はどれほどでしたか。
メアリー−ああ、相当な散歩です。
スコット−1時間ですか。
メアリー−ええ。少なくとも1時間です。
 私たちは再び〔レマン湖の南西の端、〕ジュネーヴへ行きました。〔レマン〕湖の南側を回り、フランスを通って、です。私たちは途中でピクニックをして、途中でいただきました。それから私たちはオテル・ドゥ・ローヌに行きました。(二人とも笑う)その晩、私たちは、ヒッチコック〔監督〕の〔サスペンス〕映画『ダイアルMを廻せ(Dial M for Murder)』に、行きました。
スコット−ああ、そうです。あれは憶えています。
メアリー−〔主演は〕グレイス・ケリーね。翌日、アランとクリシュナジはピエール・シュミット博士(Dr.Pierre Schmidt)のところに行きました。彼は名高い同種療法医でした。古風な紳士です。もちろんアランはいつも同種療法に熱中していました。彼はピエール・シュミット博士と連絡していました − 彼はとても著名な同種療法医でした。(クスクス笑う)私も行きました。私が彼らを連れて行きました。彼らは二人とも肝臓の療法を受けました。それが何だったのかは、誰も知りません。彼らはシュミット博士の患者になりました。それからKと私は運転して、グシュタードに帰りましたが、アランは〔ヨーガの教師〕デシカチャール(Desikachar)に会うため、残りました − 彼はインドから到着しようとしていました。
スコット−ああ。
メアリー−翌日、Kと私は、ビアスコェチェア夫妻とともに昼食をとり、午後は川沿いに長い散歩をしました。
スコット−ああ、ここで戻らせてください。なぜなら、デシカチャールは、クリシュナジにヨーガのレッスンをするために来ようとしていたからです。
メアリー−ええ。
スコット−でも、その前は〔デシカチャールの叔父の〕アイアンガー(Iyengar)でした。クリシュナジはいつも私に、アイアンガーのせいで、自分は首を痛めたことを、言っていました。
メアリー−それは本当です。
スコット−それが起きたとき、あなたはそこにいましたか。それとも、そのときにそれに気づきましたか。
メアリー−ええ。
スコット−まあ、あなたはそれについて話さなかった。
メアリー−うーん。私はそれに気づかなかったです − いつかデシカチャールが・・・
 アイアンガーが彼に教えていたとき、私もアイアンガーからレッスンを受けました。彼はほとんど乱暴だったと言わざるを得ません。
スコット−ええ。私もそれを聞いたことがあります。
メアリー−私が言うのは、彼は、限界に追い込むことをいろいろやらせようとしました。
スコット−ええ。
メアリー−実は(笑う)、彼が私にさせようとしていることをするほどのアドレナリンを出すために、私は意図的に怒ったものです。彼はクリシュナジに関してあまりに手荒でした。彼はとても手荒です。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−デシカチャールは正反対で、とても穏やかです。だから、デシカチャールが招待されました。
スコット−で、あなたはその時に、クリシュナジが痛めたのを憶えていませんね。前の年のことだったんでしょう。
メアリー−まあ、彼はそれにより、恒常的に首がこわばっていました。
スコット−ええ、知っています。
メアリー−そのとき、そこで痛めたということではなかったが、アイアンガーのために、彼は首がよく回せなかった。おそろしくこわばりました。それを乗り越えるには長い時間が掛かりました。
スコット−分かります。
 メアリー、そのような詳細を入れるのは良いですね・・・
メアリー−ええ。
スコット−例えば、そうですね、あなたがそうするアドレナリンを出すように、自分自身を怒らせたことさえも、です。それらが、これら対談を生きたものにする種類のことです。
メアリー−ええ。(休止)彼は・・・彼が私にさせようとしていたのが〔ヨーガの〕どの体位だったのかは、忘れてしまいましたが、私は〔昔の腫瘍の手術のために〕脚が悪くて、それは私にとてもきつく無理強いしていました。私は努力で震えていました。
スコット−なぜご自分のメモ書きを読まないんですか。
メアリー−いいですよ。
 まあ、ここに典型的な一日があります。6月18日。私は買い出しをして、昼食を作った。その間、Kは自分のメルセデスでドライヴしていた。
スコット−では、彼は自分一人で出掛けたんでしょうか。
メアリー−ああ、そうです!ビアスコェチェア夫妻が私たちとの昼食に来ました。後で雨の中、私はクリシュナジと散歩しました。
スコット−どこで野菜は買いましたか。
メアリー−ああ、知っているでしょう。彼の名は何だったか。
スコット−ミューレナー氏(Mr.Mullener)です。
メアリー−ええ。彼は後に、〔南方向の〕クシュタイク(Gsteig)であのレストランを持ちました。
 それにまた、おやまあ、真ん中のところです。
スコット−ええ、ええ。チョコレート店の向かいね。
メアリー−ええ。でも、そのとき戻ると、まだそこは元の所有者のものでした − 彼の名がそこに付いています。
スコット−ええ。
メアリー−それから後に彼の助手が、そこを買い取りました。ひどくないですか − 記憶は。私はそれらの名前をすべて忘れました。
スコット−まあ、それはただの青果店ですが、ともあれ、(クスクス笑う)私もそこを憶えています。
メアリー−買い出しは大きな用事でした。このためにここに行き、あのためにそこに行きました。
スコット−ええ、そうです!パンとケーキのためにはオーフリ(Oehrli)です。
メアリー−ええ。オーフリはすばらしい。あれらすてきなケーキは。最後にはそこで、うーん・・・
スコット−ホワイト・チョコレートね。
メアリー−ホワイト・チョコレート!(二人とも笑う)
スコット−私がそれらをあなたに紹介したのを、憶えていますよ!
メアリー−あなたがね!あなたが持ってきました。私はこれらの年月、スイスでこの20何年ほど、チョコレートを取っていなかった − 私はチョコレートを一度も食べなかった。もしもそうしたら、(スコット、クスクス笑う)私は迷ってしまうのを知っていたからです!それで、目的はけっして始めないことだったし、私は一度もそうしなかった・・・
スコット−まったくそのとおり。
メアリー−・・・ついに、あなたが私をそれに導くまでは。
スコット−ついに私がすべてぶちこわした。
メアリー−ええ、ええ。
スコット−それで、クリシュナジは毎日出掛けていき、自分で運転したんでしょうか。
メアリー−毎日については知らないですが、彼はしばしば出て行きました。
スコット−ああ、すてきですね。
メアリー−ええ、ええ。彼はそれが好きでした。デシカチャールが到着して、私たちはヨーガのレッスンを始めます。私は初めてのレッスンを彼と一緒に受けます。
 ここには、クリシュナジがメルセデスで私をドライヴに連れて行ってくれた一日が、あります。
 他の日には、私はアランをトゥーンに乗せていきました − そこで、彼は自分のフォルクスワーゲンを受けとりました。だから、今、私たちは三台の車です!
スコット−ええ、三台の車がある。(クスクス笑う)
メアリー−もちろん、私のは劣等なジャガーです。でも、ともあれ、それは後で直しました。(二人ともクスクス笑う)
 或る日、私たちは運転し、〔レマン湖の南岸、フランスの〕エヴィアン〔・レ・バン〕(Evian)に、オテル・ロワイヤルのテラスでの昼食に、行きました − そこはすてきです。そのときだったと私は思います。ああ!(クスクス笑う)アランは・・・そのときでした。サクランボ、あれらすばらしい大きな黒いでかいサクランボが・・・
スコット−ああ、はい、はい。
メアリー−私たちはサクランボを注文しました。アランは、そこに虫が入っているのに備えて、サクランボをすべて開けてみるよう主張しました。(スコット、笑う)彼は虫を気にしました。私は、それではサクランボがだめになると言いました − 虫のことで心配ばかりしていると!(スコット、笑う)私は、サクランボに虫がいることは一度もなかった、と言いました。彼は、「僕はある!」と言いました。(スコット、笑う)
 でも、本当にこれはすてきな昼食でした。なぜなら、テラスは〔レマン〕湖全部を見渡せるからです。そこはとても古風なホテルです。実は私たちは一度、そこに部屋を取ることを考えましたが、一度もそうしませんでした。
 で、私たちはさらに〔レマン湖の南西の端〕ジュネーヴと、オテル・ドゥ・ローヌに行きました。(笑う)アランとクリシュナジは、同種療法の治療を受けましたが、私は受けませんでした。彼らはまたサウナにも入りましたが、私はそうしませんでした。
スコット−彼らはどこでそうしましたか。
メアリー−知りません。どこにせよ − それは同種療法の一つでした。彼らがどこに行ったのか、私は知りません。翌日、私たちは運転し、〔南岸のフランスの〕エヴィアン経由でグシュタードに帰りました − オテル・ロワイヤルでまたすてきな昼食をしました。(二人とも笑う)
 これは、後世の人たちにとってかなり単調かもしれないわ!(二人とも笑う)後世の人たちがこれらのことを聞きたがるとは、思わないわ!
スコット−まあ、これは、詳細すべてを知る機会です。(メアリー、笑う)彼らがこの同種療法医に行こうとしていたとき、あなたが何をしたか、のように、です。後でクリシュナジは、同種療法は自分に何か役立ったとは思わないと、言いました。彼はいろいろと摂るのを止めました。
メアリー−そのとおりです。でも、それで、彼がそれをたくさん摂るのを停止したわけではなかった。(二人とも笑う)アランはとても関心を持っていたし、今でも熱心に同種療法に関与しています。
スコット−ええ。
メアリー−私には何にもなりませんでした。
スコット−ええ、クリシュナジも言いました − 彼が、それが効くとは思わないと言ったのが、思い出されます。
メアリー−まあ、彼はそれでもやるでしょう。(二人とも笑う)彼はそれについて熱くもあり、冷たくもあったと思います。
スコット−では、ジュネーヴに降りて行ったとき、そのときもまた、あなたが自分の車を運転しましたか。
メアリー−ええ、ええ、ジャガーです。私は、分かりませんが、私は歩いて回りました。たぶん買い物をしたんでしょう。
スコット−車にクリシュナジを乗せて運転するのは、どのようだったかを、叙述してください。
メアリー−まあ、もちろん、すてきでした。
スコット−彼はあらゆるものごとに注目しました。
メアリー−ええ。それにまた、彼が後ろの席で運転することも、私は叙述しました。
スコット−ええ。
メアリー−彼は、〔オーケストラの指揮者の中でも強い統率力で知られる〕トスカニーニやフォン・カラヤンのように、手の合図で運転を指揮したものでした。
スコット−ええ。
メアリー−でも、彼はまた田舎を見るのも好きでした。彼はそれを楽しみました。他のときに、私が彼とだけ運転しているとき、後にアランが私たちと一緒でなかったとき、彼は〔サンスクリット語で〕詠唱したものです。*
スコット−ふーん。
メアリー−あれはすばらしかった!私たちは運転して、フランスを通りました − まわりの美しい田舎はのどかで、すてきな小さな道路を、です。そして、彼は詠唱しました。それは・・・まあ、ほとんどの人たちは一人でいるとき、ハミングをする、と私はいつも感じてきました − 彼らは何かハミングをします。クリシュナジのハミングはサンスクリットの詠唱でした。
スコット−何てすてきな。
メアリー−それに美しかった。
スコット−ふむ。(メアリー、クスクス笑う)何てすてきな!
メアリー−ええ。あれらは本当に、すばらしく魔法のような瞬間でした − フランスの真ん中にいて、あらゆるものから離れて、電話もなく、人々もいなくて、誰も私たちの居場所を知らなくて、すてきな田舎をただ走って行く。寛いで、ただすばらしい。私たちはあまり話をしませんでした。でも、私たちが二人とも楽しんでいる、一種の語られない何かがありました。
スコット−一種の疎通ですか。
メアリー−ええ。
スコット−なんてすてきな。
 メアリー、彼やあなたは、道中、欲しくなったとき何か飲むものを入れる魔法瓶のようなものを、持って行ったんでしょうか。
メアリー−ふつうは、エヴィアンの〔ミネラル・ウォーターの〕瓶とか何かそのようなものを、持って行ったと、思います。
スコット−それと幾つかのカップかグラスですか。
メアリー−ふつうカップです。まあ、紙かプラスチックのです。
 後で私たちは停まって、クロワッサンを買ったものでした!これはスイスから運転してパリへ帰るときでした。
スコット−クロワッサンを入手したんですか。
メアリー−まあ、私たちはいつも〔グシュタードのタンネグ山荘を〕午前4時に発ちました。なぜかは知らないけれど、そうしました。(スコット、笑う)〔ヴァンダの家政婦〕フォスカは、私たちを見送って、発つ前に私においしいイタリア・コーヒーを出してくれたものです。それから私たちは、ちょうど明るくなってくるとき、〔ジュネーヴの北の郊外の〕ディヴォンヌ〔・レ・バン〕(Divonne)の上、向こうで、国境を越えました。そして、フランスに入った後、ちょっと運転していくと・・・ああ、町の名は知っているはずだわ。目の前に地図があったなら、言えるでしょう。パン屋があるところです。ちょうどそれらを焼いていました。パンがオーヴンから出てくるところでした。私たちは停まって、オーヴンから焼きたて、ほやほやのクロワッサンを買ったんです。
スコット−ふむ、ふむ。何てすばらしい。
メアリー−フォスカは私たちに、果物と何か飲み物のかごをくれていたんです。それで、私たちは停まって、ピクニックの朝食をとりました − すてきでした。クリシュナジはいつも場所を憶えていたものです!彼はあまり多くのことを憶えていないが、記憶の芸当で、ね。彼は場所の記憶を持っていました。
スコット−場所については、とほうもない記憶です!
メアリー−ええ。そうね、半マイル〔、約0.8キロメートル〕離れたところに来たとき、彼は「そこに近づいてきたよ。」と言ったものです。そこに着いたとき、彼は「さあ、ここだ。さあ、ここだ。」と言ったものです。道路を少しだけ離れて、樹々と灌木の裏に、駐車できる場所がありました。
スコット−フォスカは、グシュタードでいつのときも、あなたたちのために料理していましたか。
メアリー−フォスカは毎年〔夏に〕、料理しました。最後の〔1985年〕年以外は* 。
スコット−あなたが前に仰ったから、私はお訊ねするだけです − そのとき、あなたは、最初の年にヴァンダ〔・スカラヴェッリ〕が料理人を送っておいたことを、話していました・・・
メアリー−まあ、そうです。男の料理人です。でも、彼は続かなかった。彼は不正直でした。彼はごまかしていました。(笑う)人々は、クリシュナジにマンゴーを送ってきました。私は車でそれを取りに行きました − マンゴーの大きな箱が、丘を登って来ました。私たちはたぶん二食、マンゴーをいただきましたが、それでもはやマンゴーがなかった。彼がパレス・ホテルに売っていたんです。
スコット−ああ、あなたは物語からそれを取り残していました!
メアリー−まあ、今までそのことを考えなかったです!(二人とも笑う)
スコット−ああ、本当に!
メアリー−ええ!
スコット−ああ!
メアリー−彼はくびになりました。
スコット−で、彼はヴァンダのためにあまり長く働いていなかったんですね。
メアリー−うーん、前に彼が彼女のためにあまり長く働いていたとは思いません。私は、ヴァンダの手配については、あまりはっきりしません。フォスカは実際は洗濯婦で、若い頃からそうだったんです。
スコット−ああ、私は、彼女はヴァンダのためにずっと働いてきたと思いました。
メアリー−ええ。彼女はヴァンダの洗濯婦でした。彼女はアイロンがけが大好きでした。彼女は言いつづけました − 「私は料理人ではありません。セニョーラが私を料理人にしたんです。私は料理人ではありません。料理の仕方は知りません!」と。(スコット、笑う)彼女はすばらしい料理をしました。
スコット−ええ、彼女はすばらしい料理人でした。
メアリー−すばらしい料理人でした!でも、それはちょっと後のことです。
メアリー−それで、私たちは今・・・どこにいますか?
スコット−エヴィアンを通ってグシュタードに戻ろうとしてします。
メアリー−ええ。
スコット−この時までに、あなたたちは明白にタンネグ山荘に戻ってていたんですか。
メアリー−いいえ。これはまだ6月です。そうね、これは実際には6月25日ですよ。
スコット−それで、あなたたちは、タンネグ〔山荘〕が開くまで、スイスで一ヶ月ぐらいを過ごしました。
メアリー−ええ。特にこの年、私たちはパリ講話の後、すぐに来ました。
メアリー−で、翌日、6月26日、Kは咳を始めたので、二日間、内に留まりました。私の活動は、〔レマン湖の北岸の都市〕ローザンヌで点検修理をしてもらうために、ジャガーを持っていくことでした − 列車で帰りました。
 翌日クリシュナジは再び、なってしまいました。私はアランとクリシュナジの昼食を作った後、出て行きました。私が車を取り戻すために乗ってローザンヌへ戻った列車は、〔サーネンの〕カプリス〔という宿泊先のアパートメント・ハウス〕を通り過ぎたので、クリシュナジとアランとデシカチャールは、バルコニーから私に手を振っていました。(二人とも笑う)
スコット−手を振って、見送りか・・・
メアリー−ええ!(二人ともさらに笑う)
 それからKはジャガーを運転しました。わざわざ〔好きでない〕ジャガーを運転してくださった!(二人ともクスクス笑う)またも私たちは、エヴィアンとオテル・ドゥ・ロワイヤル、そしてジュネーヴとオテル・ドゥ・ローヌに行きました。またも彼らはサウナに入りました。これはすごく反復が多い!
スコット−リズムがあります。私は好きです。
 では、デシカチャールについて訊かせてください。あなたはいつ、または、クリシュナジはいつ、〔ヨーガの〕レッスンを受けたのでしょうか。
メアリー−朝にです。
スコット−朝ね。一緒にレッスンを受けたんでしょうか。
メアリー−いいえ。私たちは別の時に別々のレッスンを受けました。
スコット−クリシュナジは、何時にレッスンを始めたんでしょうか。
メアリー−まあ、彼は朝に、自分の通常の体操をするとき、受けていました。私は後でいつか受けていました。いつかは分かりません。憶えていません。
スコット−デシカチャールは本当に、クリシュナジのためにそこ〔スイス、グシュタード〕へ来たんでしょうか。
メアリー−ええ、ええ。(笑う)私がまた憶えているのは・・・あなたは本当に、小さな詳細がほしいんですか。
スコット−絶対にです。
メアリー−デシカチャールはいつも、もちろんきわめて厳格なバラモンだったし、もちろんきわめて菜食主義者でした。私はオーフリ(Oehrli)でケーキを買いました* 。彼はそれを味わって、大好きでした。私は、それに卵が入っていると彼に言う勇気はなかったです。
スコット−ふむ。
メアリー−(笑う)それで、彼には一度も言いませんでした!(二人とも笑う)
スコット−ああ、彼は卵も食べなかったからですか。
スコット−ええ。私は、卵について(もっと笑う)彼に言う気になれなかったんです。
 それで、私は何かの形で彼を汚染したにちがいないですが、それが起きたことです。(二人ともまたクスクス笑う)この最後のサウナの後、クリシュナジは、自分はそれが好きではない、自分には合わないと決めました。私たちは今回、〔レマン湖の北岸でローザンヌの港がある〕ウシー(Ouchy)経由で戻ってきて、ウシーで昼食をとりました。ウシーには、シャトー・ドゥイフ(Chateau d'If)* があります・・・シャトー・ドゥイフでなくて、シャトー・・・湖畔の城は何ですか。
スコット−ああ、それは〔レマン湖の東端の都市モントルーの〕シャトー・デ・シヨン(the Chateau de Chillon)です。
メアリー−うーん、そこは〔ローザンヌの〕ウシーです。(テープが切れる)
スコット−いいです。戻りました。
メアリー−私は、クリシュナジが自らの人生について話をしたとき、突然にこれらのことを思い出しました。彼はアランと私に対して、神智学でのものごとの秩序について説明しようとして、かなり詳細な試みをしました − 七人の大師と、或る種の上位の大師と、主マイトレーヤと、ブッダと、宇宙の主です* 。彼は、主マイトレーヤは、チベットの古から生きている人であり、定期的に自らの身体を離れて、或る人物のものに入ることを、説明しました。人類が苦しんでいるから、彼〔マイトレーヤ〕はブッダとなるに至っていない。彼は〔紀元前後頃に〕イエスの身体をとったと言われています。
 私はクリシュナジに、オーラが見えるのかどうかを、訊きました。彼は、そうだったと答えました。
 それから私は、〔個人〕面談で衝撃を与える彼のとてつもない知覚は、そういう力からあるのかとか来るのかを、訊きました。彼は、たぶんと言いました。
 彼は、自らのもとに来た人の物語をしてくれました。Kは彼に対して、彼自身についてすべてを語ることができました。(クスクス笑う)その人は戸惑いました!彼があの物語をするのを、あなたは聞いたことがありますか。(スコット、笑う)その男は憤慨しました!(笑う)
スコット−いいえ。でも、よく理解できたでしょう!
メアリー−それはまるで、この人はクリシュナジが自らの生に侵入してきたと感じたかのようです。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−彼はこれらのことを話しているとき、いつも、それらがどのように起こるかを知っているように見えましたが、彼はけっして言わなかった。(クスクス笑う)
スコット−どういう意味でしょうか − 何がどのように起こったか、と。
メアリー−まあ、これら奇妙なことすべて、です。私がいうのは、彼はどのようにオーラが見えたのか、そして、例えば、この男が部屋に歩いて入るとき、どのように彼についてすべてが知られたか、ということです。
スコット−ええ。
メアリー−彼は何が起きているかを理解している、と感じました。
スコット−でも、彼はけっしてそれを説明しなかった。
メアリー−でも、彼はけっしてそれを説明しなかった。
スコット−ええ。この会話はいつ起きたのでしょうか。
メアリー−同じ年だったと思います。
スコット−ああ。
メアリー−〔フランス中部、プーギュ・レ・ゾー近くの〕シャトー・デ・ミモン(Chateau de Mimont)でのことだったかもしれません。
スコット−クリシュナジはどのように − 彼がこれら神智学でのものごとの秩序を叙述したのを、あなたは分かりますか。
メアリー−ええ。
スコット−では、どのように彼はそれについて話しましたか。
メアリー−ごく現実的にです。
スコット−ただごく現実的に。まるで、そこに何かがあるかのようにですか。それとも、まるで、そこにはないかのようにですか。
メアリー−どちらの言明もできないでしょう。
スコット−分かります。
メアリー−あなたもそれはありましたね。
スコット−私は彼に十回以上もそこを聞きだそうとしました!
メアリー−ええ。彼はそれについて話をしましたが、いわばその保証はしなかった。
スコット−または、それは真実でないと言いました。
メアリー−ええ、彼はそうしようとしなかった。しなかった。
スコット−ええ。
メアリー−もちろん、私は、探ることは正しくないと、いつも感じました。彼が私に何かを話したいのなら、すばらしい。でも、彼が自らの話してくれることを越えたくないのなら、私はけっして(休止)質問しませんでした。
スコット−ふむ、ふむ。
メアリー−それとも、私は時には、「もし私にお話になりたくないなら、どうか話さないでください。でも、私はお訊きするでしょうし、あなたがそれについてお話になりたくないなら、忘れてください。」という発言で前置きをしてから、質問をしました。それで、けっして急き立てませんでした。おそらく私はそうすべきだったのでしょうが、そのようにやることは正しくないと、感じました。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−(休止)彼はまた、これら話の一つにおいても、それを言いました − 実際に〔神秘体験での〕「プロセス」が何だったについて、話をしました。でも、彼はそのときそれをそう呼ばなかった。彼は、どのように自分が叫ぶのかについて、話をしました。
スコット−彼は「プロセス」について何を言ったんでしょうか。
メアリー−彼は、突然に無意識または昏睡の発作が襲ってくることがあったし、自分は叫ぶだろう、と言いました。〔1922年8月オーハイで、〕彼の弟〔ニトヤ〕がそこにいて、ロザリンド〔・ウィリアムズ〕と、ワリントン氏という人(a Mr.Warrington)もです − 彼は神智学者〔で、合衆国の同協会書記長〕でした(原註7)。彼は、彼らはけっして身体に触れないと言いました。何かがあって・・・彼はこれらの状態で、気絶するときもですが、とても脆弱なので、何でも自分に物理的に当たるなら・・・あなたが憶えているなら、後に、彼がそれについて話をしたとき、メアリー〔・ラッチェンス〕は〔Kの伝記のなかで〕それについて書きましたが(原註8)、〔1923年7月末から9月下旬に、オーストリア西部の〕チロル(Tyrol)〔、エールヴァルト(Ehrwald)〕において、彼らがそこにいて、〔突然に〕教会の鐘が鳴ったとき、それは・・・彼は、自分がこの状態にあった間、鐘が鳴った衝撃があまりに大きかったから、「ほぼ私は終わってしまうところだった。」というようなことを言いました。
スコット−ええ。
メアリー−それで、このようなときには、極度の脆弱性がありました。物理的に身体に衝撃を与えることは、何もあってはならない。さもないと、それは致命的になりうる、と。彼は、彼らはけっして身体に触れないと言いました。彼がこれについて私たちに話してくれているとき、私は、彼が私たちに話してくれている理由が何かあるのかと、思いました。そして彼は、弟〔ニトヤ〕がそれをすべて書き留めたことを、言いました − その少年がすばらしい詩歌を語ったし、ふしぎなことが起きたということを、です。これが「プロセス」の間のことでした。
 私たちは、どういうふしぎなことが起きたのかを、訊きました。彼はかなりためらって、「星が現れた。」と言いました。
 私はどこかを訊きました。
 彼は、自分の頭の上だと言いました。
 少年はこれらの記憶を持っていなかった。そのときも今も、と彼は言いました。
 私は、そのとき彼は、何が起きつつあるかに気づいているかを、訊きました。彼はたぶん、そうだったにちがいない、と言いました。でも、彼は思い出せなかった。
スコット−ふむ。
メアリー−で、それが、彼がこれについて話をしたときの一つでした。(休止)
スコット−それは、あなたがこのふしぎな存在を感じる機会でしたか。
メアリー−いいえ、それはシャトー・デ・ミモンでのことでした。
スコット−分かります。
メアリー−これはもっと前のことです。私は分からなかった。そのときは分からなかった。少なくとも、分かったのを憶えていません。私が自分自身で初めにそれらに注目したのは、シャトー・デ・ミモンでのことでした。
スコット−では、それを引き起こしたのは、この会話ではなかった。
メアリー−ええ、ええ。これはもっと前の会話です − 今、それを思い出しつつあります。
 でも、たぶん私はもっと敏感だったなら、それを感じていたでしょう。
スコット−ええ。
メアリー−そのとき来ていたでしょう。それは或る面で、メアリー〔・ラッチェンス〕が感じて書いた種類のことです − それについて、クリシュナジは「感じませんか?」と言ったものです。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−後で彼がそれを言う前に、私はそれをいつも感じていました。(メアリーの話を聴く)*
スコット−ええ。
メアリー−では、ええと、私たちは今、どこにいますか。
スコット−私たちはまだ〔サーネンの〕レ・カプリス〔というアパートメント・ハウス〕にいます。あなたはちょうど、〔レマン湖の北岸の〕ローザンヌに車を取りに行って、戻ろうとしている、と思います。または、クリシュナジはサウナを止めたんです。
メアリー−そのとおりです。
 私は、彼が或る晩、ただの一瞥から対象物に注目し、名づけるゲームについて語ったときのことを、詳しく述べるべきだと思います。彼は、自らこのゲームを弟〔ニトヤ〕としたものだと、言いました。そして、同様なゲームにおいて、まあたとえば、このテーブルを一秒だけ見る、それから見ないで、思い出すのです。
スコット−本当ですか。
メアリー−私は彼に対して、彼のあらゆるものごとに注目する状態は常なのかを、訊きました。
 彼は、「私が空っぽであるとき以外、いつもそうだった。私は自室の窓からほとんど外を見ない。私は空っぽです。」と答えました。
 それから、彼はアランの方を向き、「そういうわけで、ときに、あなたが部屋に入ってこられるとき、私は自分の肌から跳び出しそうになるんです。」と言いました。
 興味深かったです − 彼がどのように、あらゆるものごとを見つめられる、あらゆるものごとが見えるのか、それからこれら空っぽの状態に入るのかは、です。それらのときには、何にでも彼は驚いたものでした。
 彼はまた、〔パリの南西200キロメートルほど、フランス中部、ロワール川沿いの街〕アンボアーズ(Amboise)に行く車の中で、私たちが冥想の定義を一度も聞いたことがないのか、それは私たちにとって何を意味するのだろうかを、訊ねました。
 私たちは、「一生の関心事です。」と答えました。
 そのとき彼は、「自己をどのように見つめるのでしょうか − 各個人を、ではありません。そこにものごとすべてが含まれているようなやり方で、です。」と訊ねました。彼は山を指さして、継続しました − 「それはあそこに上がっているようなものです。あなたがあそこから見下ろすとき、あらゆるものごとがその適切な所に見えます。では、どのようにそこから見えるのか。・・・どのように、ではなく、何がそこから見つつあるのか。それが問題です。」
 それから彼は、「あなたは静寂を憶えていますか。」と訊きました。静寂がありました。彼は、「それはどこにあったのでしょうか。」と訊きました。
 アランは、「シャトー・デ・ミモンです。」と言いました。
 クリシュナジは、「ええ、静寂がありました。そこに音のすべてが、です。」と答えました。
スコット−ふむ。
メアリー−すばらしいことに思われました。
スコット−ええ。
メアリー−私は、以来それが起きてきたと言いました。彼は頷いて、「ええ。何回も、この部屋で。」と言いました。
 彼は継続しました − 「あなたはどこから見始めるでしょうか。あの上ではなく、あなたがいるところです。あなたはとても敏感であり、そのためにできることすべてをしなければなりません。正しい食べ物、十分な睡眠。座浴・・・」。彼は座浴が大好きでした!(笑う)彼の座浴のことは忘れてしまっていました!
スコット−ああ、そうです。
メアリー−メアリー〔・ラッチェンス〕は、彼らが〔1923年にオーストリア西部、〕チロルにいたとき(原註9)、山の渓流の雪解け水で座浴をしなくてはならなかったことについて、話している、と思います。彼は、(笑う)浴槽に、氷水で座浴をしたものです。私も氷水で、一回試してみました。耐えられなかった!(二人とも笑う)私は二度とやらなかったわ!(メアリー、もっと笑う)ここに、私の日記には、「座浴」と言います。そして、彼はそれを言いながら、私を笑った。なぜなら、私が不満を言っていたから、と。
 彼は私たちに、「することすべてに気づきなさい。あなたはその気づきを試したことがありますか。」と、訊きました。アランは自分はあると言いました。
 クリシュナジは継続しました − 「訂正するために見守っている中心があるなら、あなたは気づいていません。これがあるかぎり、あなたは見守っていません。中心があってはなりません。そのとき、ものごとは自ずと訂正されるのです。それが今晩の教訓です。」と。(二人ともクスクス笑う)
 それから彼は主題を変えて、夕食を通して私たちにはフランス語だけを話してほしいと言いました!(二人とも再び笑う)(メアリーの話を聴く)*
スコット−では、これはまだレ・カプリスのことですね。
メアリー−ええ、そうです。
スコット−では、あなたたちはそのような真剣な話をしばしばしたのでしょうか。それほどでもなかったんでしょうか。
メアリー−ええ、ええ、しばしばです。
スコット−いいなあ。
メアリー−ええ。
 或る昼食のさなか、何かの時点で、彼は突然言いました − 「考えるということに発見はありません。観察だけにあります。」と。
 そう、これらのことは、彼の精神に浮かんで通り抜けているようですね。私たちはおしゃべりしたり、笑っていたり、何かをしていましたが、突然、彼は何かそのようなことを言ったものです。あたかも、それがいつも彼の内側で囁いているようでした。
スコット−ええ。
メアリー−私たちはまた、その頃、カプリスでレコードを掛けていました。
スコット−その場所にはレコード・プレーヤーがあったのですか。
メアリー−いいえ。私はプレーヤーをジュネーヴで買っておいたんです。彼らがサウナに入っているときだと思います。私は(クスクス笑う)何か音楽を買っておきました。
スコット−いいなあ。
メアリー−彼は〔偉大なギタリストの〕セゴヴィアのギター音楽が大好きでした。
スコット−ええ。セゴヴィアは一度クリシュナジのために演奏しました。
メアリー−ええ、そうです。クリシュナジはギターの音色が好きでした。
スコット−ええ。〔偉大なギタリストの〕ジュリアン・ブルームもまたクリシュナジのために演奏しました。
メアリー−私はそう思いません。私が思い出せるかぎりでは。私たちはジュリアン・ブルームのレコードを掛けました。なぜそう思ったんですか。
スコット−なぜなら、アマンシオ(Amancio)(原註10)がこの物語をしてくれたからです − 彼は、クリシュナジのためにギターを演奏したいと申し出たということです。クリシュナジは、ええ、いいですね、と言いました。それで、アマンシオは数日後、一週間後か何かは分かりませんが、ギターを持って帰ってきました。アマンシオは調律しているとき、クリシュナジに対して、「誰かが前にあなたのためにギターを演奏したことがありますか。」と訊きました。
 クリシュナジは、「ああ、あります。セゴヴィアとジュリアン・ブルームです。」と言いました。(二人とも心から笑う)アマンシオはもうがっかりしました!(もっと笑う)彼は、自分が誰の後にやっているかを知りつつ演奏することは、本当に難しい、と言いました。若いギターリストにとって、それは悪夢だったに(二人とももっと笑う)ちがいありません!
メアリー−ええ!
 私は、アランがジュリアン・ブルームを高く評価していたことを、知っています。彼はどこかで彼に会ったと、私は思います。彼は彼のところに行って、音楽について話すよう頼みました。でも、彼がクリシュナジのために演奏したことは、思い起こせません。でも、たぶん私はそこにいなかったんでしょう。誰にも分からないわ。(二人とも笑う)
 また、或る晩に、クリシュナジはとても喜んでいました。(笑う)なぜなら、或る晩、アランがキッチンに鍵を掛けて私を閉め出し、皿洗いをしたからです。
スコット−ああ、いいなあ。
メアリー−皿洗いをめぐっては、いつも闘いが継続していたんです。
スコット−その頃もですか。
メアリー−ええ。でも、その頃、私のほうが勝っていました。私は(スコット、笑う)この一晩以外は、挑戦を受けていませんでした。
スコット−分かりました。後とは違っていて。
メアリー−ええ。クリシュナジはそれにまったく喜んでいました。(笑う)
 クリシュナジはまた私に対して、神経症は何だと思うかを、訊ねました。
 私は、部分的にはそれは、現実に対するひどい知覚障害だと思うと、言いました。「ありえない目的への執拗な追求です。」と私は言いました。
 彼は、心理分析は何か役立つと思うのかどうかと、訊きました。
 私は思うと答えました。もちろん彼は、私が〔かつて〕心理分析をしていたことについて語ったことすべてを、憶えていません。
 私は、「ええ。」と言いました。「でも、」彼の話している「その水準ではそうでない。それは人々を環境に適応させようとします。」と言いました。
 そのとき彼は言いました − 「でも、社会は神経症的です。考えることが神経症を創り出します。」と。彼は言ってから、もし自分がそれを言うなら、ほとんどの人たちがどう考えるかと(スコット、笑う)思うことについて、笑いました。
 (クスクス笑う)それから彼は訊ねました − 「では、思考なしにどう行動するのでしょう。思考が葛藤を創り出すし、それが神経症であるということが、分からなくてはなりません。」と。
 彼はこれらを通してエネルギーに満ちていました。雨により自らの枯草熱* が鎮まったことを、喜んでいました。
 私たちは、山々から荒々しい濁った川が流れ落ちてくるのを、見守りました。それが、私の日記にここで言われていることです。
スコット−では、クリシュナジはその頃、枯草熱で苦しんでいたんでしょうか。
メアリー−ええ!〔スイスの牧場での〕あれらの干し草よ!干し草を放り上げる〔農業〕機械を知っていますね。
スコット−ええ、ええ。もちろんです。
メアリー−私は或る旅行を憶えています。どうしてかクリシュナジとアランはどちらも後ろの座席にいました。なぜかは分かりません。彼らは二人とも枯草熱で、鼻水が出て、死にそうでした。私は前に座って運転していて、ちょうど、新しく刈りとった干し草のすてきな香りに、魅了されていました!(二人とも笑う)
スコット−で、クリシュナジはその頃、小さなピンクの錠剤を持っていなかったんですね。
メアリー−ええ、それはずっと後で出てきます。
スコット−やれまあ。
メアリー−ふむ、ああ。(休止)ここには・・・(休止)私はここを飛ばさなくてはなりません。なぜなら、私たちはまた時代を外れつつあるからです。
スコット−違いはないですよ。
メアリー−彼は私たちに自分の物語をしてくれました。でも、この物語は知っているでしょう − 或る導師の学生が去って行き、他の導師とともに十五年間学習し、それから一番目の導師に戻ってきて、自分はすばらしいことを学んだと言う。それで、二番目の導師* が「少し見せておくれ。」と言う。学生は、自分は水の上を歩けると言う、というものです。
スコット−ああ、はい。(クスクス笑う)
メアリー−ええ。(クスクス笑う)それで、学生は一番目の導師に見せましたが、その導師は、「おまえはそれをやるのに十五年を掛けたのか。私に言ってくれていたら、渡し船があることを教えてやったのに!」と言う。
スコット−ええ、ええ。(笑う)
メアリー−(笑う)それから、ヴィシュヌ神の話* もありました。それらの物語は十分文書化されているから、それらを反復しないことにしましょう。
スコット−ええ。
メアリー−ともあれ、私たちが議論していた期間に戻ります。デシカチャールは毎朝、クリシュナムルティにヨーガのレッスンをしました。
スコット−デシカチャールは、どこに泊まっていましたか。
メアリー−うーん、どこに泊まっていましたか。〔アパートメント・ハウス、〕レ・カプリスの別の部屋かと思います。
スコット−ヴァンダ〔・スカラヴェッリ〕はいなかったんですか。
メアリー−彼女は7月まで〔ローマにいて、サーネンには〕来ません。まだ6月のことです。
スコット−ああ、そうです。
メアリー−(笑う)ヨーガのレッスンへのお礼に、クリシュナジはデシカチャールに対して、西洋のテーブル・マナーについて細やかなレッスンをしていました!(スコット、笑う)それが続く間に、アランと私も、西洋のテーブル・マナーについて一つ、二つのことを、学びました!(二人とも笑う)なんとまあ!
 さて、ここに、〔レマン湖の南西の端、〕ジュネーヴへの途中で現れた問題があります − クリシュナジは、「何が人を変化させるのでしょうか。アイアンガーのような、〔甥の〕デシカチャールが〔自分に取って代わって〕ここでレッスンをしていることに怒っていて、苦々しく思っている人を、です。」(彼女は今や読み上げているように見える)「彼が立場を持っているかぎり、何の変化もありません。」と。
 この時点でアランと私は、彼は、殺さないことや肉を食べないことのような事柄について立場を持ったことがないのかどうかを、訊ねます。
 彼は答えました − 「それは立場ではありません。私は誰をも殺しません。肉を食べたこともありません。それは或る態度です。私はただそうしないだけです。」と。(スコット、クスクス笑う)
 それは、ただ何かをしないだけのことと、計画とか、行動の理想的様式を持つことの間の、微妙で重要な違いのように、見えました。それは原理ではなかった。
 これはアイアンガーに言及しますが、「彼は立場を持っているかぎり、けっして変化しないでしょう。小さな段階的な変化は何もない。それはそもそも変化ではない。全的な革命が必要であるとの気づきだけが、一瞬に人を変化させるでしょう。」
 また別の日、車の中で彼は訊きました − 「愛は何でしょうか。ほとんどの人たちの間のやりとりすべてではない。愛には冥想がなければならない。記憶があってはならない。」と。
 それから彼は、「愛は無垢性です。ただ答えないでください。」と言いました。
 或る時点で彼は私に対して、もう一回25歳になりたいと思うかと訊きました。(クスクス笑う)私が25歳だったときに戻るのではなく、人生の残りすべてを持ってきて、今そうである、と。
 私は「その場合は、ええ!」と答えました。(二人とも笑う)
 彼は「私はそう思った。」と言いました!(もっと笑う)なんとまあ。
 後で彼は私たちに対して、食べ物と、ヴィタミンを摂ることの善し悪しについて、勧告しました。彼はエネルギーの輪にあって* 、私たちにもっと多くを語るために自分の部屋からたびたび戻ってきました。彼は私に対して、どんな食べ物が自分にとって一番良いかを学ぶことにより、身体をとても敏感にしなければならない、と語りました。(クスクス笑う)
スコット−クリシュナジはその頃も、ヴィタミンを摂っていましたか。
メアリー−いえ、いえ。摂っていませんでした。(クスクス笑う)そのときはそれに反対でした。
 別のドライヴで、彼は関係について話していました。彼は言いました − 「私はいつも、自分の望むことをしてきました。〔財務すべてを取り仕切った〕ラージャゴパルがうろたえた理由の一つは、私は何かを与えてあげたいと思ったなら、与えてしまうということでした。」と。*
 彼は、ものごとが即座に見えるということを語りました。
 そして、なぜ私が過去に、死と楽しみがどちらも見えて、そこから踏み出さなかったのかを、訊きました。
 私は、それはしたと言いました。
 彼は、「いえ、いえ。マダム。なぜあなたはそのときそれが見えなかったのでしょうか。」と答えました。(長い休止)
スコット−彼は、ラージャゴパルについて、たくさんの否定的なことを言いはじめていましたか。
メアリー−ああ、そうです。
スコット−なぜそれについて話さないんですか。
メアリー−ああ、それはとても大きな主題です。私は前回の対談* で、〔タンネグ山荘での〕討論会について、そして、クリシュナジがいかに〔その録音〕テープを聴かせる権利を持っていなかったかとかそれらを、話したと思います。
スコット−ええ、ええ、しました。
メアリー−私は、彼らの間でいろいろとうまく行っていないことに、ますます思いいたりはじめていました。そのとき彼はあまり多くを語りませんでしたが、後に、彼は合衆国に行って、オーハイに行ったとき、語りました。そのときすべてが露わになりました。
スコット−でも、この時点で彼は、ラージャゴパルについてたくさん語っていなかった、と。
メアリー−あまり多くは、ね。でも、彼は、私がちょうど触れたような発言を時折していた、ということです。
スコット−明白に、〔秘書の〕アラン〔・ノーデ〕は〔雇い主のK著作協会の〕ラージャゴパルと何か接触を持っていたにちがいありません。
メアリー−まあ、私たちがクリシュナジとともにオーハイに行ったとき、アランはラージャゴパルと接触を持ちました。それはこの年、66年のことです。
スコット−では、前はない、と。
メアリー−ええ。彼は彼に会っていません。
スコット−ああ、分かりました。
メアリー−それで、当分の間、私たちはまだスイスにいます。人々が〔夏のサーネン集会の〕講話に来はじめて、私たちが散歩に行ったとき、彼は、人々が自分を見つめるだろうし、自分の眼差しを捉えたいと思うから、「私はあえて右、左を見ないよ。」と言いました。
 彼は、「早く歩いても構いませんか。」と言いました。(スコット、クスクス笑う)
 ああ、その時点で私は夢を見ました。(クスクス笑う)それは、私が人生で見たなかで最も鮮明な夢でした。それは、私の人生のこの時期に妥当しています。私は即時に、それがどういう意味なのかを、知りました。それで、夢は・・・私はあなたにこれを話したにちがいないわ。
スコット−ええ。話しました。でも、とにかく〔録音〕テープのために話してください。
メアリー−まあ、夢は、私が川の岸に立っているというものでした。川はとても速くて荒々しい。激流です。私は跳び込むなら、溺れるかもしれない。でも、私は跳び込まなくてはならないんだと感じます。川の真ん中には、高い壮大なセコイア、〔アメリカ〕赤スギが立っています。すばらしいそびえ立つ樹です。私は、川に跳び込むなら、進んで溺れざるをえないことを、知っています。おそらくそうはならないでしょうし、おそらく私はその樹へ打ち上げられて、それで救われるでしょう。それで、私は跳び込みました。それが起きたことです。私は目覚めた瞬間に、それが何なのかを、正確に知りました。なぜなら、サーネン川は濁っていて、荒々しくもあったからです・・・
スコット−ええ。
メアリー−・・・サーネン川は小川ですが、私の夢の川は広大でした。濁った川は私にとって変化を表象しています。夢が私に語っているのは、あなたは進んで手放し、いわば、自分自身に対して死に、変化しなくてはいけない、ということでした。もちろん樹は明白にクリシュナジです。
(テープが止まる。それから再開する。)
スコット−あなたはこの夢をクリシュナジに叙述しましたか。
メアリー−まあ、しました。いつか後でね。私たちは川沿いに散歩していました。彼は微笑んで、象徴的な夢だと言いました。
 私は、「ええ。それは様々に解釈できるでしょう − 救われるとも、おそらく破滅するとも。」と言いました。彼は「ああ、いや。」と言って、心理分析家はどのようにそれらのことを見るだろうかと訊きました。(メアリーの話を聴く)*
 私はその過程を叙述しました。「ああ、それでは永遠にかかるよ。」と彼は言いました。(二人ともクスクス笑う)
 また私たちは、仮面について話をしました − 私たちはみな、仮面を被っているが、仮面なく、防御なく、直接的に接触して生きること、目的を持たないことは、可能だろうか、と。
 まあ、今私たちは、ヴァンダ〔・スカラヴェッリ〕がローマから〔サーネンに〕到着するところに来ます。
スコット−あなたのクリシュナジとの接触は、アランのとは違っていますか。あなたはアランより、クリシュナジと多くの議論をするように、思われますか。
メアリー−ええ。まあ、アランもこれらの議論に加わっていました。でも、私は、いつ彼がそこにいたかに、いつも触れてきたと思います。私は、「私たちは言いました」とか「彼は私たちに対して言いました」とか、言いました。
スコット−ええ、ええ。
メアリー−それで、これら議論の多くは、私たちのどちらも一緒に、でした。
スコット−ええ。
メアリー−でも、私が彼一人とともに散歩していたときや、彼一人とともにドライヴしていたとき、同じ種類の議論が続きました。
スコット−ええ、分かります。でも、違いが出現しているように見えるでしょうか − おそらくあなたのほうがクリシュナジに近い。または、あなたのほうが彼と深く話をしている、と。または、あなたは異なった関係性を、彼と持っているように見える、と。
メアリー−まあ、もちろん私は、どうかは知りません・・・
スコット−あなたは、彼がアランと持っているより、もっと多くの関係性を自分と持っているということを、感じはじめていましたか。
メアリー−分かりません。一人でアランと一緒にいるとき、クリシュナジがどうだったのか、彼がどのように話をしたのかを、私は知りません。たぶん彼は同じように話したと思います。
スコット−ええ。でも、私たちは時には、自分たちが誰かと関係しているとき、感じることもありえます・・・自分のその人物との関係は、その人物の他の誰かとの関係とは違っている、と知るわけです。
メアリー−まあ、そうだと思います。たぶんそうだと思います。
スコット−それはアランにとって少し辛かったんでしょうか。
メアリー−後ではそうだったと思います。この時点でそうだったとは思いません。ええ、結局はそうだったと思います。
スコット−いいですよ。私たちは〔録音〕テープの終わりに近づいています。次の対談を始めるとき、ヴァンダが到着して、タンネグ〔山荘〕が開かれるときから、始めましょう。
 その前に何か他に入れておくべきことが、ありますか。
メアリー−(笑う)ええ!ヴァンダが到着する直前に、昼食で、デシカチャールを聞き手として、結婚の主題についてからかう闘いがありました。クリシュナジとアランはそれを攻撃していて、私は防御していました。
 私は、アランがそれをライ病〔ハンセン氏病〕と一緒くたにしていること(二人とも笑う)、そして、Kがリシ・ヴァレーで子どもたちに対して、結婚について話しているときの調子は、彼らに恐怖を植え付けるには十分であることを、言いました。(もっと笑う)彼は発言して、それから、どれほど私をいじれるのかを見るために、傍らで眺めたものです!(スコット、笑う)私たちは最終的に、その体系全体に改定が要ることで、合意しました。私は、彼がその意味を考案しなおすことを、提案しました。(二人とも笑う)
 その午後、ヴァンダがローマからタンネグ山荘に到着し、私たちとの夕食に降りて来ました。彼女に会うのはすてきでした。彼女は初めてデシカチャールに会いました。それから翌日、クリシュナジとアランは、タンネグ〔山荘〕に引っ越しました。クリシュナジはあらゆることについて私にありがとうを言い、自分とシニョーラが − 彼は彼女をそう呼びました − けんかをするなら、自分は戻ってきて、私のところに泊まっていいですか、と言いました。(二人ともクスクス笑う)私は、彼らの持ちもののほとんどを山荘に移しました。私が立ち去るとき、ヴァンダは、「昼食と夕食のすべてにぜひ来てください。」と、とても感じよく言いました。
 クリシュナジは歩いて、私を車まで見送り、私の手にとても軽くキスして、もう一度私にありがとうを言いました。
スコット−いいなあ。
メアリー−ええ。
スコット−いいですよ。たぶんここで終わりにすべきです。
メアリー−次回までに私は宿題をやってみましょう。もっと予告しておいてください。
スコット−(笑う)いいですよ。
メアリー−私たちはあまり進まないように見えます。この割合では十分に生きられないかも・・・
(テープが切れる)

原註
1)ブローニュの森(the Bois de Boulogne)は、パリの西側にある。
2)ブローニュの森の中にある城と庭園。
3)クリシュナジは、1920年にフランス語を学びにパリに来たとき、デ・マンツィアーリ(de Manziarly)一家に出会った。母親は、〔ミマ、マー、ヨーという〕三人の娘と〔サチャという〕一人の息子をもつ熱心な神智学者だった。子どもたちはみな、クリシュナジの親友になった。
4)〔西洋の〕リュートのようなインドの弦楽器。
5)メアリーはここから、ますますクリシュナジをKと称することになる。
6)後でメモ書きには、彼らはマコン(Macon)経由でスイスに入り、〔フランス東部、アルプス地方の〕ブール・カン・ブレス(Bourg-en-Bresse)近くのオーベルジェ・ブレッサナ(Auberge Bressana)で昼食をした、と言う。
7)これは、「プロセス(the process)」に言及する − すなわち、クリシュナジの弟〔ニトヤ〕が1922年に記述し、そのときと以降数人もの人たちが書いている、〔オーハイでの〕秘教的な出来事と思われるものである。そのとき、同様な出来事と思われることが、あった。
8)メアリー・ラッチェンス(Mary Lutyens)は自著『クリシュナムルティ 目覚めの歳月(Krishnamurti: The Years of Awakening)』〔の第20章「プロセスが強まる」〕に、このことを書いた。
9)メアリー・ラッチェンスは、『クリシュナムルティ 目覚めの歳月』において、1923年にエーワルド(Ehrwald)でクリシュナジと〔神智学協会の〕一団の他の人たちと一緒にいたことの報告に、これを記述している。
10)私〔スコット・フォーブス〕が校長であったとき、ブロックウッドで学生たちに教えた優秀なスタジオ・ギタリスト。


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